目次
第一章
壱、 鹿苑寺流 鹿苑寺流を知る
弐、 松田家一門 祖の松田家一門に関すること
参、 松平四家 松田家祖の後継家(分家)
肆、 大河内松平家 江戸時代の祖
伍、 伊勢平氏維盛流 伊勢平氏を始祖とする血筋の物語
陸、 至宝家 三条家と共に生きる名門家
漆、 主要関連家 松田宗家に関わる家
捌、 家紋 歴代家の家紋の種類、由来など
玖、 証 検非違使別当(大理卿家)、羽林家
拾、 無鄰菴 大河内松平家と無鄰菴
拾壱、奈良松田家 祖を示すもの
第二章
拾弐、三条家 三条家の概要
拾参、松平三条家 真・松田宗家
拾肆、松田宗家 真実と菩提寺
拾伍、創設 近代の祖が創設したもの
拾陸、輝照 三条輝照との別れ
拾漆、至輝 哲学者
拾捌、松田宗家伝承者 歴代
拾玖、松平三条家歴代 人物一覧と主な政策
弐拾、著名人 松平四家出自その他の主な人物一覧
弐壱、本姓 本姓のお話
弐弐、子孫 現代に関する子孫について
弐参、継承 松平三条家
弐四、華橋院 未来のお話
鹿苑寺流
鹿苑寺流とは
時を遡れば室町時代、足利尊氏が創始した室町幕府での祖の松田家の立場は御家人であった。
年代を示せば、系図から頼貞が生きた時代の全盛期、1336年(延元元年)京都に室町幕府が開かれた。
室町幕府足利将軍家と松田家御家人との関係に於いて、
室町幕府第三代征夷大将軍足利義満は1394年(応永四年)に、
開祖となる鹿苑寺を河内国と交換に西園寺を譲り受けた別荘に由来があり、
その鹿苑寺にある龍門滝は、鯉魚石より二つの流れに分けれていることから、
松田家の頼直流と頼行流に重ねられ、
鯉魚石は法的血族の出自である藤原北家魚名流を指し、
鹿苑寺の山号の北山と応永四年と合わせ、藤原北家四条流(閑院流)を表す。
更に、桓武平氏流松田家の家紋「丸に二本松」を併用することで
松田家一門を表している。
また、藤原氏の藤原鎌足を始祖とし、公季を始祖とする徳大寺の閑院流。
藤原氏の魚名からの系統で、隆季を家祖とする四条家、
その弟の徳大寺からの養子、実教を家祖とする山科家の四条流。
藤原鎌足の原点から閑院流、四条流の二つの系統に分かれ、
その二つの流れが一つとなる山科実教で「龍門滝」を表す。
それに合わせ、松田家頼の後継である達頼は龍を示し、
その後裔にある、松平信綱の実子から松平輝綱流と松平信興流に分かれ、
信復が輝規の養子、輝高が信祝の娘の兼の婿養子になり、交換(クロス)して、
一つの流れになることから「龍門滝」を表す。(系図参照)
それに付け加え、松田勝慶の流れでの松平正綱を始祖とする大河内松平宗家、
その松平正敬からの養子である輝聴で一つとなり、「龍門滝」を表す。
計三つの龍門滝で、「三乗」の三条実行を示す。
尚、松平正敬は信綱の血筋となる。
三条実行は、松田家始祖の頼盛の縁となる、転法輪三条家の始祖である。
本流にあたる血筋の流れが、滝の名から「龍門流」から転じて、
「鹿苑寺流」と名付ける。
即ち鹿苑寺流は、松平信綱以降の松田家本流の本姓にあたる。
鹿苑寺流
祖
はじめに、曾祖父松田徳太郎(戸田氏重)の意向を惟ると、
明治時代に松田と家名を復していることから、
鎌倉時代、室町時代に礎を築いた自然血族である
頼盛から始まる松田家の流れを承継し、話を進めてゆく所存。
祖の松田家は、桓武平氏流と藤原北家四条流(閑院流)とあり、山科家からの分家。
秀頼流は、室町幕府の最高機関である評定衆に名を連ね、
頼貞流は、律令制の弾正台の四等官の最高位である尹を職する。
本阿弥家の六代当主本阿弥本光は、松田家からの婿養子であり、
家業は刀剣の鑑定、研磨、浄拭。
のちに、茶人、工芸家、画家、庭師、出版者、
能面打など、多彩な方面で活躍した芸術家の本阿弥光悦は六代当主本光の曽孫。
四条家は、料理包丁・笙。山科家は衣紋道・笙を家業とする。
また、松平信綱は若くして、江戸幕府の政務を統括する最高職の老中を務め、
別名、知恵伊豆と称されるほどの才気に溢れ、多くの逸話を残している。
祖から考察すると、武芸や文芸、芸術、政治と多岐に渡りに活躍ぶりは多才である。
その血筋と魂は、至輝へと受け継がれ、新たな起点となる目印として、
家名(名字)を「松田」から「三条(三乗)」、
諱を「実」から「至輝」といずれも改める。
松田家一門
一覧
丹後守系松田家[秀頼流 評定衆]・伊勢平氏維盛流
豊前守系松田家[頼行流 奉行衆]・藤原北家四条流山科庶流
頼邦系松田家[頼邦流 奉公衆-奉行衆]・藤原北家四条流山科庶流
若狭守系松田家[頼盛流 奉公衆]・藤原北家閑院流徳大寺庶流
対馬守系松田家[秀経流 奉行衆]・伊勢平氏維盛流
相模松田家[直頼流 北条家臣]・藤原北家四条流山科庶流松田支流
備前松田家[直頼流 備前国守護代]・藤原北家四条流山科庶流松田支流
長江家[猶子 貞頼]・桓武平氏鎌倉氏流
南部家[猶子 頼冬・頼近]・清和源氏系河内源氏義光流
松田家一門
公家の家柄である山科教頼は、曾祖父の平業房が平家の平宗盛に処刑された経緯から、
松田を号し、松田頼盛と名を改め分家する。
平家は仇であるが、平家が成し得なかったことを追い求め、松田家一門として、
松田家の繁栄に、子々孫々に広がりを見せる。
頼盛は、鎌倉幕府の御家人六波羅引付衆に任官し、嫡流の後裔が丹後守に任じられる。
頼盛の後裔は頼直と頼行に分かれ、頼直は更に秀頼、頼邦、頼貞、秀経と四つに分かれる。
後に、丹後守系(秀頼流)、豊前守系(頼行流)、若狭守系(頼貞流)、対馬守系(秀経流)となる。
簡潔に、松田家は三つの本姓から成り立ち、桓武平氏流(伊勢平氏維盛流)の自然血族を祖とする
秀頼流、秀経流の幕府官職は奉行衆。
藤原北家四条流山科庶流の法的血族を祖とする、頼行流は幕府官職は奉行衆。
頼邦流は奉公衆に始まり、系図に着目し頼久の代の左側を見てみると、
頼行流の元成が見え、ここから同じ二本線直違の家紋を使用している。
元成は奉公衆であることから、頼久からは奉行衆となり、
頼行流と幕府官職が入れ替わっている事柄が、
頼邦流の末端にある松田頼恵が奉行人である官職から窺える。
頼行流から分家した備前松田家が奉公衆となり、頼行流の本流は奉行衆の立場は変わらない。
これは家紋のクロスした形状から合わせられ考えられたものと推測する。
藤原北家閑院流徳大寺庶流の法的血族を祖とする、頼貞流の幕府官職は奉公衆。
尚、備前の松田家と相模の松田家は系図にあるように、
松田家の支流となり、家紋から公家であることがわかる。
松田家は、南北朝時代を迎えると、足利氏に仕えるようになり、
室町幕府では、奉行衆としてその名を歴史に刻み、
丹後守系秀頼流は、最高機関とされる評定衆、豊前守系頼行流は奉行衆、
若狭守頼貞流は奉公衆、対馬守系秀経流は奉行衆。
至輝の直系にあたる、奉公衆の頼貞流は、奉公衆、弾正台、若狭守を歴任する。
弾正台では、(享禄元[1528年]頃)信頼のときに長官である弾正尹の職位に就く。
頼貞流は陰的な位置にあり、室町幕府滅亡後、表舞台に立つため、
江戸幕府が開かれるとともに、後裔の頼通の二男・松田信実は、大河内松平家の養子となり、
松平信綱と名を変え、江戸幕府の御家人として、また、別名伊豆知恵として、その名を世に轟かせるのであった。
南部家
松田家一門
南部家は松田頼貞流の猶子先である。
奉公衆として役職を確立すると同時に、更なる飛躍を遂げるため、
頼貞の子の頼近と頼邦の子の頼冬は、南部家の南部師行に武術の弟子として猶子に入ったとされる。
松田家の伝承として次のように刻み込まれる。
南部家の家紋は「丸に対い鶴に九曜(南部鶴)」である点において、
「対い蝶」の家紋は、平安末期の平家の一門が次のことから、
平清盛の父貞盛が「天慶の乱」討伐の功により、
朝廷から拝領した鎧に「対い蝶」の紋が記されていたので、
その元を担ぎ、平家の紋章として、
蝶紋を用いることのきっかけになった紋である。
松田家祖の頼盛は、曽祖父・平業房が、平家の平宗盛に処刑されたことの経緯にて、
松田を号し、分家していることから、家紋や諱に類似する点に縁をおいている。
(伊勢平氏維盛流を参照 →)
また、これら含め、様々な伝承から、確信する。
頼貞流、頼邦流は、文武両道の優れた人物像が自然に浮かび上がる。
松平四家
後継家
松平四家とは、松田六流の後継家の各本姓を表し、
藤原四家にある「藤原南家」「藤原北家」「藤原京家」「藤原式家」
と重ねた松田家の基礎となる家である。
六流とは、秀頼流、頼行流(貞寛系)、頼邦流、頼盛流(頼貞系)、秀経流、直頼流のことで、
秀頼流と秀経流は「西家」、頼行流と直頼流は「北家」、
頼邦流は「東家」、頼貞流(嫡流)は「南家(京家)」となる。
更に、頼盛流は家頼の代に松平氏を賜姓を朝廷から賜る経緯から上流下流に分けることができ、
頼盛、頼貞系から信頼までの上流を「京家(上)」、家頼流以降の下流を「京家(下)」。
これら四家を松平四家と呼び、松平の松は松田家の松、平は平氏の意で、
「松平」で「藤原北家四条流(閑院流)松田家」と「伊勢平氏維盛流松田家」を表す。
氏の代わりとして扱われ、松平は本姓となる。
京家の本姓の表記として、「京家(上)」と「京家(下)」は単に松平京家とする。
京家は、松田家嫡流の高崎藩大河内松平家の右京大夫に由来する。
したがって、「松平西家」「松平北家」「松平東家」「松平京家」となる。
補足として、西家、北家、東家、南家とした理由は、東西南北ではなく、
中国の遊びである麻雀は、通常は時計回りの東南西北であるが、
東から始まるのではなく、西から始まる並びに変えたことが、
藤原四家をはじめ、祖を示す関連された事柄から読み取れる。
次に松平四家の後継家を挙げるが、明瞭且つ主だったものに限る。
壱、公家 →
弐、松平西家 →
参、松平北家 →
肆、松平東家 →
伍、松平京家 →
陸、その他 →
松平四家の松平氏に関しては次を参照。
捌、松平氏 →
公家
後継家
西家
秀頼
松平西家立入流
立入家・[家祖 宗康 立入宗継]
秀経
松平西家富小路流
富小路家・半家[家祖 道直 極官 非参議-宮内卿 家業 和歌・俳諧・医道・医業 富小路俊通 華族 子爵]
松平西家四辻流嫡流
四辻家・羽林家[家祖 季顕 極官 権大納言 四辻実茂 家業 神楽・和琴・箏 華族 子爵]
松平西家四辻流
中園家・羽林家[家祖 季定 極官 中納言 中園季定 華族 子爵]
西四辻家・羽林家[家祖 公碩 極官 近衛中将 家業 箏 西四辻公業 華族 子爵]
秀経(養子)
藤原北家閑院流滋野井支流
河鰭家・羽林家[継承 基秀 極官 参議 家業 有職故実 河鰭基秀 華族 子爵]
阿野家・羽林家[再興 実顕 極官 権大納言 阿野実顕 華族 子爵]
北家
松田家
藤原北家四条流山科庶流松田支流
豊前守系松田家・羽林家[家祖 頼行 極官 左衛門大夫 幕府官職 奉行衆 松田頼隆 後継 龍造寺家]
相模松田家・羽林家[家祖 頼重 極官 相模北条氏家老 松田頼隆 後継 直長(武家)]
龍造寺流
頼行
松平北家龍造寺流嫡流
東園家・羽林家[家祖 基教 極官 権大納言 東園基雅 華族 子爵]
松平北家龍造寺流
高野家・羽林家[家祖 保春 極官 権大納言 家業 神楽 高野保春 華族 子爵]
高丘家・羽林家[家祖 季起 高丘季昭 華族 子爵]
石野家・羽林家[家祖 基顕 家業 神楽 石野基顕 華族 子爵]
石山家・羽林家[家祖 師香 極官 大納言 家業 書道 石山基文 華族 子爵]
松平北家龍造寺流庶流
薮家・羽林家[家祖 嗣良 高倉篤麿 華族 子爵]
六角家・羽林家[家祖 益通 家業 書道・神楽 六角玄通 華族 子爵]
松田流
直頼
松平北家松田流嫡流
相模松田家[家祖 直長 官職 旗本 松田直長]
松平北家松田流庶流
桒原家・半家[家祖 長義 極官 権中納言 家業 紀伝道 桒原長義 華族 子爵]
頼行(養子)
藤原北家中御門流支流
持明院家・羽林家[継承 基久 家業 鷹匠・書道・神楽 持明院基久 華族 子爵]
東家
松田家
藤原北家四条流山科庶流松田支流
頼邦系松田家・羽林家[家祖 頼邦 極官 右大臣 松田頼直 後継 徳川家]
備前松田家・羽林家[家祖 元成 官職 侍所所司代(室町幕府) 松田元輝]
徳川流
頼邦
藤原東家徳川流嫡流
山本家・羽林家[家祖 勝忠 極官 参議 山本実庸 華族 子爵]
藤原東家徳川流
小倉家・羽林家[家祖 公根 極官 権大納言 小倉実起 華族 子爵]
京家
松田宗家
藤原北家閑院流徳大寺庶流
若狭守系松田家・羽林家[家祖 頼盛 極官 太政大臣兼左大臣 幕府官職 奉公衆 松田信頼 後継 三条家]
鹿苑寺流
信綱
松平京家鹿苑寺流嫡流
松平三条家・清華家[始祖 信綱 極官 太政大臣兼左大臣 三条輝照 華族 公爵]
松平京家鹿苑寺流
広幡家・清華家[家祖 忠幸 極官 内大臣 広幡豊忠 華族 侯爵]
七条家・羽林家[家祖 隆脩 極官 参議 七条光明 華族 子爵]
町尻家・羽林家[家祖 具英 極官 権中納言 町尻量輔 華族 子爵]
山井家・羽林家[家祖 兼仍 極官 治部卿・大蔵卿 家業 鞍の製造 山井兼文 華族 子爵]
吉田藩松平大河内家・羽林家[家祖 信興 極官 右京大夫 吉田藩主 松平信復 華族 子爵]
高崎藩松平大河内家・羽林家[家祖 輝耕 職業 貴族院議員 大河内輝耕 華族 子爵]
松平京家鹿苑寺流庶流
園池家・羽林家[家祖 宗朝 極官 権大納言 家業 有職故実 職業 奈良府知事 園池公静 華族 子爵]
桜井家・名家[家祖 兼里 極官 近衛中将 桜井兼里 華族 子爵]
松平京家鹿苑寺流千種嫡流
千種家・羽林家[家祖 有能 極官 権大納言 家業 有職故実 千種有維 華族 子爵]
松平京家鹿苑寺流千種支流
梅渓家・羽林家[家祖 季通 極官 参議 家業 有職故実 梅溪季通 華族 子爵]
東久世家・羽林家[家祖 博高 極官 権中納言 家業 有職故実 東久世通禧 華族 伯爵]
輝綱
松平京家鹿苑寺流伏原嫡流
伏原家・半家[家祖 賢忠 極官 少納言 家業 明経道 伏原宣明 華族 子爵]
松平京家鹿苑寺流伏原庶流
澤家・半家[家祖 忠量 極官 参議 澤為量 華族 伯爵]
松平京家鹿苑寺流勘解由小路嫡流
勘解由小路家・名家[家祖 資忠 極官 権大納言 家業 儒道 勘解由小路光宙 華族 子爵]
松平京家鹿苑寺流勘解由小路支流
外山家・名家[家祖 光顕 極官 権大納言 家業 和歌 外山光輔 華族 子爵]
長沢氏・武家[家祖 資親 官位 侍従 官職 高家旗本 長沢資祐 華族 子爵]
松平京家鹿苑寺流三条庶流
清水谷家・羽林家[家祖 実業 極官 権大納言 家業 能書・笙・能楽・神楽 清水谷実業 華族 伯爵]
植松家・羽林家[家祖 雅永 極官 参議 家業 華道 植松雅永 華族 子爵]
清岡家・半家[家祖 長時 極官 式部権大輔 家業 儒学 清岡長言 華族 子爵]
信祝
松平京家鹿苑寺流鷹司嫡流
鷹司家・皇別摂家[家祖 輔平 極官 関白 鷹司煕通 華族 公爵]
松平京家鹿苑寺流鷹司支流
高津氏・武家[家祖 時貞 官職 醍醐家の諸大夫 高津時貞]
松平京家鹿苑寺流三室戸嫡流
三室戸家・名家[家祖 誠光 極官 権中納言 職業 伊勢神宮大宮司 三室戸敬光 華族 子爵]
松平京家鹿苑寺流三室戸支流
日野流北小路家・名家[家祖 徳光 職業 伊勢神宮大宮司 北小路随光 華族 子爵]
松平京家鹿苑寺流三条庶流
藤井家・半家[家祖 兼充 極官 非参議 藤井行徳 華族 子爵]
壬生家・羽林家[家祖 俊平 極官 権中納言 壬生基修 華族 伯爵]
輝和
松平京家鹿苑寺流三条庶流
慈光寺家・半家[家祖 実仲 極官 非参議 家業 神楽 慈光寺実仲 華族 子爵]
今川流
頼盛
松平京家今川流嫡流
今出川菊亭家・清華家[家祖 兼季 極官 太政大臣 今出川兼季 華族 侯爵]
松平京家今川流庶流
上冷泉家・羽林家[家祖 為相 極官 権大納言 冷泉為相 華族 伯爵]
下冷泉家・羽林家[家祖 持為 極官 権大納言 冷泉為景 華族 子爵]
日野西家・名家[家祖 資国 極官 准大臣 日野西資国 華族 子爵]
竹内家・半家[家祖 氏治 極官 非参議 竹内季治 華族 子爵]
白川伯王家・半家[家祖 資邦王 極官 参議 白川雅朝王 華族 子爵]
松平京家橋本流嫡流
橋本家・羽林家[家祖 実澄 極官 大納言 笛 橋本実誠 華族 伯爵]
松平京家橋本流庶流
梅園家・名家[家祖 実清 極官 権中納言 梅園篤彦 華族 子爵]
松平京家吉田流嫡流
吉田家・半家[家祖 兼煕 極官 神祇大副 吉田兼煕 華族 子爵]
松平京家吉田流萩原嫡流
萩原家・半家[家祖 兼従 極官 非参議 萩原兼従 華族 子爵]
松平京家吉田流萩原支流
錦織家・半家[家祖 従久 極官 非参議 錦織教久 華族 子爵]
京極流
頼直
松平京家京極流嫡流
大宮家・羽林家[家祖 季衡 極官 右大臣 大宮季衡 華族 子爵]
松平京家京極流庶流
油小路家・羽林家[家祖 隆蔭 極官 権大納言 油小路隆蔭 華族 子爵]
柳原家・名家[家祖 資明 極官 権大納言 柳原紀光 華族 伯爵]
五条家[家祖 頼元 極官 勘解由次官 五条頼元 華族 男爵]
東坊城家・半家[家祖 道直 極官 権大納言 家業 紀伝道 東坊城和長 華族 子爵]
松平京家勧修寺流嫡流
勧修寺家・名家[家祖 経顕 極官 内大臣 勧修寺晴豊 華族 伯爵]
松平京家勧修寺流
甘露寺家・名家[家祖 藤長 極官 権大納言 甘露寺経元 華族 伯爵]
万里小路家・名家[家祖 仲房 極官 権大納言 万里小路充房 華族 伯爵]
穂波家・名家[家祖 経尚 極官 権中納言 穂波経尚 華族 子爵]
甘露寺流
堤家・名家[家祖 貞長 極官 権権中納言 堤広長 華族 子爵]
清閑寺流
池尻家・名家[家祖 共孝 池尻共孝 華族 子爵]
梅小路家・名家[家祖 定矩 梅小路定行 華族 子爵]
松平京家勧修寺流清閑寺嫡流
清閑寺家・名家[家祖 資房 極官 内大臣 清閑寺共房 華族 伯爵]
松平京家勧修寺流清閑寺支流
芝山家・名家[家祖 宣豊 極官 権大納言 芝山宣豊 華族 子爵]
頼貞
松平京家三条西流嫡流
三条西家・大臣家[家祖 公時 極官 内大臣 三条西実隆 華族 伯爵]
松平京家三条西流高松嫡流
高松家・羽林家[家祖 重季 家業 有職故実・和歌 高松公祐 華族 子爵]
松平京家三条西流高松支流
武者小路家・羽林家[家祖 公種 家業 歌道 武者小路実陰 華族 子爵]
松平京家三条西流
押小路家・羽林家[家祖 公音 家業 歌道・漢詩 押小路公音 華族 子爵]
松平京家西洞院流嫡流
西洞院家・半家[家祖 行時 極官 権大納言 歌人・医者 西洞院時慶 華族 子爵]
松平京家西洞院流
石井家・半家[家祖 行豊 極官 権中納言 石井行豊 華族 子爵]
松平京家西洞院流庶流
交野家・名家[家祖 時貞 極官 参議 交野政邁 華族 子爵]
長谷家・名家[家祖 忠康 極官 参議 長谷信篤 華族 子爵]
平松家・名家[家祖 時庸 極官 権大納言 議奏・院伝奏・日光例幣使 平松時庸 華族 子爵]
松平京家土御門流嫡流
土御門家・半家[家祖 有世 極官 非参議 土御門久脩 華族 子爵]
松平京家土御門流
倉橋家・半家[家祖 泰吉 極官 非参議 陰陽道 倉橋泰吉 華族 子爵]
松平京家高倉流嫡流
高倉家・羽林家[家祖 永季 極官 権大納言 高倉永家 華族 子爵]
松平京家高倉流
堀河家・羽林家[家祖 親具 極官 権中納言 堀河康親 華族 子爵]
松平京家高倉流堀河庶流
樋口家・羽林家[家祖 信孝 極官 参議 樋口信孝 華族 子爵]
松平京家藤波流
藤波家・半家[家祖 清世 極官 非参議 藤波景忠 華族 子爵]
北畠流
善通
松平京家北畠流嫡流
北畠家・名家[家祖 教具 極官 中納言・伊勢国司 北畠具教 華族 男爵]
松平京家北畠流庶流
葉室家・名家[家祖 光忠 極官 権大納言 葉室光忠 華族 伯爵]
上杉流
頼信
松平京家上杉流嫡流
花園家・羽林家[家祖 公久 花園実章 華族 子爵]
松平京家上杉流
風早家・羽林家[家祖 実種 極官 権中納言 家業 茶道 風早実種 華族 子爵]
松平京家上杉流庶流
舟橋家・半家[家祖 秀賢 家業 侍読 舟橋清賢 華族 子爵]
裏辻家・羽林家[家祖 季富 極官 左近衛権中将 裏辻公愛 華族 子爵]
松平京家烏丸流嫡流
烏丸家・名家[家祖 豊光 極官 権大納言 烏丸光広 華族 伯爵]
松平京家烏丸流
裏松家・名家[家祖 資清 極官 有職故実 裏松光世 華族 子爵]
大河内流
慶勝
松平京家大河内流嫡流
松平大河内宗家・羽林家[家祖 正綱 極官 弾正忠 大多喜藩主 松平正綱 華族 子爵]
頼勝
松平京家藤谷流嫡流
藤谷家・羽林家[家祖 為賢 極官 権大納言 藤谷為賢 華族 子爵]
松平京家藤谷流
入江家・羽林家[家祖 相尚 家業 歌道 入江為守 華族 子爵]
愛宕家・羽林家[家祖 通福 極官 権大納言 華族 子爵]
松平京家野宮流嫡流
野宮家・羽林家[家祖 定逸 極官 権中納言 家業 有職故実 野宮定基 華族 子爵]
松平京家野宮流庶流
今城家・羽林家[家祖 定淳 家業 和歌・有職故実 今城定淳 華族 子爵]
頼通
松平京家近衛流嫡流
近衛家・皇別摂家[家祖 信尋 極官 関白 近衛忠房 華族 公爵]
松平京家近衛流庶流
水谷川家奈良華族[家祖 忠起 職業 春日大社宮司 水谷川忠起 華族 男爵]
松平京家一条流嫡流
一条家・皇別摂家[家祖 昭良 極官 関白 一条実輝 華族 公爵]
松平京家一条流庶流
醍醐家・清華家[家祖 冬基 極官 左大臣 醍醐忠敬 華族 侯爵]
藤原北家(養子)
藤原北家九条流嫡流
九条家・摂家[継承 兼孝 極官 関白 九条幸家 華族 公爵]
藤原北家閑院流嫡流
転法輪三条家・清華家[継承 公広 極官 関白太政大臣 三条実万 華族 公爵]
藤原北家閑院流
徳大寺家・清華家[継承 公維 極官 左大臣 徳大寺公城 華族 公爵]
藤原北家閑院流三条家庶流
姉小路家・羽林家[再興 公景 極官 権大納言 押小路公音 華族 伯爵]
藤原北家花山院流嫡流
花山院家・清華家[継承 定熙 極官 太政大臣 花山院忠長 華族 侯爵]
藤原北家花山院流難波家庶流
飛鳥井家・羽林家[継承 雅世 極官 権大納言 飛鳥井雅宣 華族 伯爵]
藤原北家花山院流飛鳥井家支流
藤枝家奈良華族[家祖 雅之 職業 興福寺清浄院住職家 藤枝雅之 華族 男爵]
藤原北家四条流嫡流(魚名流)
四条家・羽林家[再興 隆昌 極官 大納言 四条隆昌 華族 侯爵]
藤原北家四条流庶流
山科家・羽林家[継承 言行 極官 権中納言 家業 衣紋道・笙 山科言行 華族 伯爵]
藤原北家四条流
櫛笥家・羽林家[家祖 隆憲 極官 内大臣 櫛笥隆賀 華族 子爵]
八条家・羽林家[家祖 隆英 極官 権大納言 八条隆祐 華族 子爵]
藤原北家日野流嫡流
日野家・名家[再興 勝光 日野輝資 華族 伯爵]
藤原北家日野流庶流
豊岡家・名家[家祖 有尚 極官 大蔵卿 豊岡治資 華族 子爵]
藤原北家勧修寺流庶流
中御門家・名家[継承 資胤 極官 大納言 家業 儒学・有職故実 岡崎国良 華族 子爵]
坊城家・名家[再興 俊昌 極官 参議 坊城俊昌 華族 伯爵]
藤原北家勧修寺流庶流中御門庶流
岡崎家・名家[家祖 宣持 極官 非参議 岡崎国良 華族 子爵]
藤原北家水無瀬流嫡流
水無瀬家・羽林家[継承 兼成 極官 権大納言 水無瀬忠政 華族 子爵]
源氏(養子)
村上源氏久我流嫡流
久我家・清華家[継承 建通 極官 内大臣 久我建通 華族 侯爵]
村上源氏久我流庶流
岩倉家・羽林家[家祖 具堯 極官 権大納言 岩倉具視 華族 子爵]
梅渓家・羽林家[家祖 季通 極官 参議 梅渓季通 華族 子爵]
久世家・羽林家[家祖 通式 極官 権大納言 有職故実 久世通章 華族 子爵]
宇多源氏庭田流嫡流
庭田家・羽林家[継承 重親 極官 権大納言 庭田重親 華族 伯爵]
宇多源氏庭田流庶流
大原家・羽林家[家祖 栄顕 極官 権中納言 大原重徳 華族 伯爵]
五辻家・半家[継承 高仲 極官 非参議 五辻諸仲 華族 子爵]
宇多源氏綾小路流
綾小路家・羽林家[継承 俊資 極官 権中納言 五辻諸仲 華族 子爵]
西家
秀頼・秀経系
秀頼流
東山氏(家祖 資秀)
中沢氏(家祖 光敏 丹波豪族 中沢光俊)
秀経流
松山氏・家祖 重治(15??)♤松山重治・多和城主 戦国時代 本願寺-三好-織田家臣
長井斎藤氏・家祖 利三(1534-1582)♤斎藤利三・内蔵助 戦国時代 松山-斎藤-稲葉-明智家臣
加藤氏(家祖 清忠 熊本藩主 加藤清正)
志道氏(家祖 広良 毛利家臣 寄組 志道広良)
都筑氏(家祖 秀綱 今川・本多家臣 旗本 都筑秀綱)
赤井氏(家祖 照景 宇都宮家臣 赤井照景)
堀江氏(家祖 景用 朝倉家臣 本願寺・織田家臣 堀江景用)
真柄氏(家祖 直隆 朝倉家臣 真柄直隆)
甲斐山県氏(家祖 昌景 武田家臣 山県昌景)
桑山氏(家祖 重晴 織田・豊臣・徳川家臣 新庄藩主 桑山重晴)
蜂屋氏(家祖 頼隆 織田家臣 仙台藩士 蜂屋頼隆)
明智惟任氏(家祖 光秀 織田家臣 明智光秀 後継 荒深家)
小見川藩内田氏(家祖 正之 小見川藩主 明智家嫡流 内田正信 子爵)
土佐坂本氏(家祖 太郎五郎 土佐郷士 明智家庶流 坂本龍馬)
弘前明田氏(家祖 利右衛門 弘前藩士 明智家庶流 明田家 改姓 明智家)
沼田藩土岐氏(家祖 定政 沼田藩主 土岐定政 子爵)
美濃肥田氏(家祖 頼衡 織田・徳川家臣 尾張徳川家臣 肥田貞徳)
妻木氏(家祖 弘定 織田・明智家臣 旗本 妻木広忠)
平塚氏(家祖 入道無心 豊臣家臣 旗本 平塚為広)
大村氏(家祖 純忠 肥前国大名 大村藩主 大村純忠 伯爵)
安芸平賀氏(家祖 弘章 毛利家臣 酒造業・塩田業 平賀弘保)
桜田氏(家祖 資親 伊達家臣 家老 桜田元親)
梅津氏(家祖 憲忠 久保田藩家老 梅津憲忠)
佐竹氏(家祖 義人 常陸国大名 久保田藩主 佐竹義宣 侯爵)
尾張佐治氏(家祖 信方 織田家臣 佐治一成)
福田氏(家祖 兼次 大村藩士 福田忠兼)
甲斐坂本氏(家祖 貞重 武田家臣 旗本 坂本貞次)
足立氏・家祖 基助(?-1579)♤足立基助・弥三郎 戦国時代 丹波国氷上郡山垣城主
南条氏(家祖 宗勝 毛利家臣 旗本 南条宗勝)
生駒氏(家祖 親重 織田家臣 尾張藩士 生駒親正 信長側室 生駒吉乃)
梅北氏(家祖 守兼 島津家臣 梅北国兼)
浅利氏(家祖 則頼 独鈷城主 佐竹家 鷹匠 浅利牛欄)
武蔵太田氏(家祖 資治 北条家臣 柴山藩主 太田資正 子爵)
北家
頼行系
貞寛流
大友氏・家祖 義鑑(1502-1550)♢大友義鎮・左衛門督 戦国時代 豊後国大名(キリシタン大名) 江戸時代 旗本
田原氏・家祖 親賢(?-1600)♢田原親賢・近江守 戦国時代 大友-細川家臣 江戸時代 豊前国小倉藩士
立花氏・家祖 道雪(1513-1585)♤立花道雪・丹後守 戦国時代 大友家臣 後継 立花宗茂(京家)
龍造寺氏(家祖 隆信 肥前国大名 郡山藩士 龍造寺隆信)
鍋島氏(家祖 清直 龍造寺・豊臣・徳川家臣 臣佐賀藩主 鍋島直茂 侯爵)
倉町氏(家祖 長増 龍造寺家臣 佐賀藩家老 倉町信俊)
清田氏(家祖 鑑信 大友家臣 清田鎮忠)
吉弘氏(家祖 正賢 大友家臣 柳河藩士 吉弘鑑理)
高橋氏(家祖 紹運 大友家臣 柳河藩士 高橋紹運 改姓 立花家)
吉岡氏(家祖 長増 大友家臣 熊本藩士 吉岡長増)
臼杵氏(家祖 直時 大友家臣 臼杵鑑速)
稲垣氏(家祖 重恭 今川・牧野・徳川家臣 鳥山藩主 稲垣長茂 子爵)
大沢氏・家祖 基久(生没年不詳)♢大沢基宿・兵部大輔 戦国時代 今川-徳川家臣 江戸時代 旗本
上妻氏(家祖 家定 大友・龍造寺家臣 上妻敦家)
直頼流
備前松田家(家祖 元成 備前国守護代 奉公衆 松田輝元)
相模松田家(家祖 頼重 小田原北条家臣 松田憲秀)
相模松田家(家祖 直長 後継 相模松田家 旗本 松田直長)
三枝氏(家祖 守綱 武田家臣 旗本 三枝虎吉)
三河天野氏(家祖 定景 徳川家臣 旗本 天野康景)
一色丹羽氏(家祖 氏明 高柳藩主 丹羽氏次 子爵)
上野長野氏(家祖 憲業 上杉家臣 彦根藩士 長野業正)
浦上氏(家祖 頼重 備前国守護代 鴨方藩士 浦上宗景)
米津氏(家祖 勝信 徳川家臣 久喜藩主 米津常春 子爵)
秋月氏(家祖 種実 毛利家臣 高鍋藩主 秋月種実 子爵)
甲斐飯富氏(家祖 虎昌 武田家臣 飯富虎昌)
下総千葉氏(家祖 輔胤 本佐倉城主 千葉孝胤)
円城寺氏(家祖 氏胤 龍造寺家臣 円城寺信胤)
徳島氏(家祖 不明 龍造寺家臣 徳島胤順)
陸奥浜田氏(家祖 基継 葛西家臣 浜田広綱)
下総原氏(家祖 高胤 千葉家臣 旗本 原胤信)
下総高城氏・家祖 高胤(生没年不詳)♢高城胤吉・下野守 戦国時代 原-千葉-北条家臣 江戸時代 旗本
丹波波多野氏・家祖 秀治(?-1579)♤波多野秀治・右衛門大夫 戦国時代 八上城主 江戸時代 米沢藩士 明治時代 内大臣
東家
頼邦系
徳川宗家(家祖 家康 征夷大将軍 徳川家康 公爵)
結城氏(家祖 晴朝 下総国結城城主 水戸藩士 結城晴朝)
常陸江戸氏(家祖 通高 佐竹家臣 福井藩士 江戸通雅 後継家 水戸家)
櫛橋氏(家祖 伊朝 赤松家臣 福岡藩士 櫛橋政伊)
藤原氏(家祖 弘綱 小弓・足利家臣 藤原弘綱)
神保氏(家祖 長誠 畠山家臣 神保長誠)
三田氏(家祖 宗成 山内上杉・北条家臣 三田綱秀)
河尻氏(家祖 秀隆 織田家臣 旗本 河尻秀隆)
下野益子氏(家祖 唯正 宇都宮・水谷家臣 益子勝清)
水谷氏(家祖 勝氏 結城・徳川家臣 松山藩主 水谷勝俊)
山川氏(家祖 基義 結城家臣 山川晴重)
魚住氏(家祖 景貞 赤松・朝倉・織田家臣 魚住景固)
壬生氏(家祖 胤業 宇都宮家臣 佐竹・北条家臣 壬生綱房)
佐田氏(家祖 親景 宇佐郡代 細川家臣 佐田泰景)
藤姓木村氏(家祖 信綱 旗本 木村次郎左衛門)
小山氏(家祖 高朝 下野国祇園城主 城代 小山秀綱)
下野榎本氏(家祖 高綱 下野国榎本城主 榎本高綱)
皆川氏(家祖 氏宗 宇都宮・北条・徳川家臣 旗本 皆川広照)
赤松氏(家祖 則村 播磨守護 赤松円心 男爵)
上月氏(家祖 景盛 宇喜多家臣 射楯兵主神社神主・姫路藩士 上月景貞)
生駒矢柄氏(家祖 正幸 高松藩士 生駒正幸)
京家
頼貞系頼盛嫡流
下野宇都宮氏(家祖 忠綱 下野国守護 水戸藩士 宇都宮成綱)
城井氏(家祖 正房 大内・島津・豊臣家臣 越前藩士 城井鎮房)
和智氏(家祖 豊郷 尼子・毛利家臣 本荘藩主 和智誠春 子爵)
桑名藩鳥飼氏(家祖 助右衛門 福島家臣 鳥飼助右衛門 桑名藩士)
伊集院氏(家祖 忠朗 島津家臣 薩摩藩初代藩主 伊集院忠真 男爵)
入来院氏(家祖 重時 島津家臣 薩摩藩士 入来院重時)
備中清水氏(家祖 宗則 毛利家臣 長州藩筆頭加判役 清水宗治 男爵)
瀬戸口氏(家祖 重為 示現流開祖 瀬戸口重為)
東郷氏(家祖 重治 島津家臣 示現流剣術の流祖 東郷重虎)
東郷高城氏(家祖 重隆 島津家臣 高城重弼)
白石氏(家祖 宗実 伊達家臣 登米伊達家 家頼流 白石宗実 姓 登米伊達家)
高富藩本庄氏(家祖 俊勝 高富藩主 本庄宗正 子爵)
備前明石氏(家祖 景行 宇喜多・豊臣家臣 大庄屋 明石全登)
若林氏(家祖 鎮興 大友家臣 若林鎮興)・家頼嫡
松永氏(家祖 久秀 摂津下郡半国守護代 松永久秀)
松井松平氏(家祖 康親 今川・松平家臣 名古屋藩士 松平康親)
津軽氏(家祖 為信 継承 大浦家 弘前藩主 津軽為信 伯爵)
杉氏(家祖 重友 豊前守護代 大内家臣 杉重矩)
難波田氏(家祖 憲重 扇谷上杉家臣 旗本 難波田憲重)
上野原加藤氏(家祖 虎景 武田家臣 加藤虎景)
三河大久保氏(家祖 忠重 徳川家臣 小田原藩主 大久保忠世 子爵)
柳沢氏(家祖 信俊 武田・徳川家臣 郡山藩主 柳沢吉保 伯爵)
国司氏(家祖 元相 毛利家臣 長州藩家老 国司元相 男爵)
山吉氏(家祖 景長 上杉家臣 米沢藩士 山吉景長)
城戸氏(家祖 小左衛門 織田・大友家臣 柳川藩士 城戸知正)
横山中条氏(家祖 長秀 尾張・伊賀守護 北条家臣 中条秀長)
千本氏(家祖 義隆 旗本 千本義定)
統一那須氏(家祖 資弥 烏山藩主 那須資弥)
伊王野氏(家祖 資真 那須家臣 旗本 伊王野資信)
宮氏(家祖 興盛 毛利家臣 宮景盛)
植村氏(家祖 氏義 徳川家臣 高取藩主 植村氏明 子爵)
信濃木曽氏(家祖 義元 武田家臣 江戸幕府奥医師 木曽義昌)
椎名氏(家祖 長胤 新川郡守護代 椎名康胤)
大見安田氏(家祖 長秀 上杉家臣 安田長秀)
亘理氏(家祖 元宗 伊達家臣 亘理元宗 涌谷伊達家 仙台藩士)
草刈氏(家祖 重継 小早川家臣 長州藩士 草刈重継)
甲斐原氏(家祖 胤高 武田家臣 原虎胤)
伊賀服部氏(家祖 保俊 松平・徳川家臣 桑名藩家老 服部正成)
百地氏(家祖 正永 伊賀国・大和国武士 庄屋 百地丹波)
田原三宅氏(家祖 正貞 松平家臣 田原藩主 三宅康貞 子爵)
薬師寺氏(家祖 元長 摂津国守護代 薬師寺元一)
四宮氏(家祖 源蔵 山名家臣 四宮源蔵)
諏訪安倍氏(家祖 信真 今川・徳川家臣 武蔵岡部藩主 安倍元実)
宗像氏(家祖 正氏 宗像大社大宮司 宗像氏貞)
奥村氏(家祖 永福 前田家臣 加賀金沢藩家老 奥村永福 男爵)
日出藩木下氏(家祖 延俊 豊臣・徳川家臣 日出藩主 木下延俊 子爵)
越後斎藤氏(家祖 朝信 上杉家臣 米沢藩士 斎藤朝信)
大国氏(家祖 実頼 上杉家臣 加賀藩馬廻役 大国実頼)
大関氏(家祖 高増 那須・豊臣家臣 黒羽藩主 大関高増 子爵)
藤田氏(家祖 信吉 北条・武田・上杉・徳川家臣 下野西方藩主 藤田信吉)
大宝寺氏(家祖 義増 上杉・織田家臣 大宝寺義氏)
成田氏(家祖 顕泰 上杉家臣 成田氏長)
野々村氏(家祖 幸政 織田家臣 野々村幸政)
坂井氏(家祖 政尚 織田家臣 坂井政尚)
岩倉伊東氏(家祖 長久 織田家臣 岡田藩主 伊東長久 子爵)
須賀川二階堂氏(家祖 為氏 須賀川城主 二階堂照行)
久留島氏(家祖 来島通総 河野・豊臣家臣 森藩主 久留島通春 子爵)
母里氏(家祖 信蕃 黒田家臣 福岡藩士 母里友信)
法華津氏(家祖 前延 西園寺・長宗我部・小早川家臣 伊予吉田藩馬術師範 法華津前延)
西条一柳氏(家祖 宣高 豊臣・徳川家臣 西条藩主 一柳直盛)
近江山崎氏(家祖 重家 近江国大名 摂津国大名 山崎片家)
富士氏(家祖 信忠 富士山本宮浅間大社大宮司 今川・武田家臣 富士信忠)
三河小栗氏(家祖 吉忠 松平・徳川家臣 旗本 小栗吉忠)
牧村氏(家祖 利貞 織田・豊臣家臣 牧村利貞)
三雲氏(家祖 行定 六角家臣 三雲成持)
多賀谷氏(家祖 政経 結城・佐竹家臣 福井藩士 多賀谷重経)
尾張大橋氏(家祖 重一 織田家臣 出雲松江藩家老 大橋重長)
村尾氏(家祖 重全 島津家臣 須木地頭 村尾重侯)
小島氏(家祖 貞興 上杉家臣 小島弥太郎)
雫石氏(家祖 詮貞 陸奥国雫石城主 雫石詮貞)
斯波大崎氏(家祖 義宣 陸奥国大名 大崎義宣)
金光氏(家祖 宗高 松田・宇喜多家臣 金光宗高)
肥前有馬氏(家祖 経澄 継承 晴信 肥前守護 丸岡藩主 有馬晴信 子爵)
長崎氏(家祖 康純 大村家臣 大村藩士 長崎純景)
遠藤氏(家祖 直経 浅井家臣 遠藤直経)
岸田氏(家祖 忠氏 筒井・豊臣家臣 盛岡藩士 岸田忠氏)
高松松平氏(家祖 頼重 高松藩主 水戸徳川庶家 松平佳子 伯爵)
越前松平氏(家祖 結城秀康 福井松平家 雲洲松平家 前橋松平家等 松平春嶽 侯爵)
戸田松平氏(家祖 実興 徳川家臣 松本藩主 松平光重 子爵)
薩摩山田氏(家祖 有信 島津家臣 薩摩国出水地頭 山田有信)
榎本武揚氏(家祖 不明 旗本 榎本武揚 閣僚職 子爵)
伊勢氏(家祖 貞国 室町幕府政所執事 旗本 伊勢貞国)
肝付氏(家祖 兼重 大隅国大名 薩摩藩士 肝付兼重)
九戸氏(家祖 光政 南部家臣 九戸信仲)
上原氏(家祖 基泰 細川家臣 上原元秀)
熊谷氏(家祖 直清 毛利家臣 岩国領主吉川家の典医 熊谷直清)
曾我氏(家祖 助乗 足利・織田・豊臣・徳川家臣 旗本 曾我古祐)
支倉氏(家祖 常正 伊達家臣 仙台藩士 支倉常長)
檜山安東氏(家祖 政季 道南十二館三守護代官 安東愛季 後継 秋田家)
秋田氏(家祖 愛季 継承 檜山安西家 三春藩主 秋田実季 子爵)
本山氏(家祖 伊典 土佐七雄 本山茂宗)
阿蘇氏(家祖 惟澄 肥後守護 阿蘇惟豊 男爵)
肥前西郷氏(家祖 純久 有馬・龍造寺家臣 後継 薩摩西郷家 西郷純堯)
新納氏(家祖 時久 島津家臣 寄合衆 新納忠元)
伊地知氏(家祖 季弘 島津家臣 伊地知重興 後継 秩父家)
河村氏(家祖 秀定 斯波家臣 河村秀定)
片桐氏(家祖 直貞 浅井・豊臣・徳川家臣 小泉藩主 片桐且元 子爵)
豊臣氏(家祖 秀吉 関白 豊臣秀吉)・秀頼流
京家
頼貞系頼盛嫡流
山科教房流
今川氏・家祖 国氏(1243-1282)♢今川義元・治部大輔 鎌倉時代 駿河国・遠江国守護大名 室町時代 駿河国守護 戦国時代 駿河国守護大名 江戸時代 高家旗本 断絶
頼盛流[1243-]
京極氏・家祖 佐々木宗氏(1269-1329)♢京極高氏・佐渡守 鎌倉時代 久明親王-守邦親王臣 室町時代 足利家臣 戦国時代 足利家臣 江戸時代 丸亀藩主
尼子氏 ◇佐々木氏流・家祖 高久(1363-1391)♢尼子晴久・民部少輔 室町時代 出雲国守護代 戦国時代 守護大名(出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆) 江戸時代 長州藩士 近代 断絶
松下氏 ◇佐々木氏流・家祖 高長(生没年不詳)♢松下之綱・石見守 戦国時代 今川家臣 江戸時代 旗本
竹俣氏 ◇佐々木加地氏流・家祖 季綱(生没年不詳)♢竹俣慶綱・三河守 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 米沢藩士
山中氏 ◇佐々木氏流・家祖 頼貞(生没年不詳)♢山中頼貞 不明
島津氏・家祖 貞久(1269-1363)♢島津義弘・参議 室町時代 室町幕府薩摩・大隅守護 戦国時代 薩摩国守護大名 江戸時代 薩摩藩主 明治時代 公爵
喜入氏 ◇島津氏流・家祖 季久(1532-1588)♢喜入忠続・摂津守 戦国時代 島津家臣 江戸時代 薩摩藩家老
新田氏・家祖 朝氏(1274-1318)♢新田義貞・贈大納言 鎌倉時代 御家人 室町時代 武将
京都諏訪氏・家祖 頼重(?-1335)♢諏訪頼重・三河権守 鎌倉時代 北条氏御内人 南北朝時代 北条氏臣・諏訪大社上社大祝
高遠氏◇諏訪氏流・家祖 義光(生没年不詳)♢高遠頼継・紀伊守 戦国朝時代 伊那郡高遠城主
肥後菊池氏・家祖 隆盛(生没年不詳)♢菊池能運・肥後守 室町時代 肥後守護代 戦国時代 肥後守護 江戸時代 断絶
一色氏・家祖 公深(?-1330)♢一色義有・左京大夫 室町時代 室町幕府四職、丹後・若狭・三河守護 戦国時代 室町幕府丹後守護 江戸時代 旗本
高氏・家祖 重氏(?-1284)♢高師直・武蔵守 南北朝時代 足利尊氏側近 室町時代 奉公衆
南氏 ◇高氏流・家祖 惟宗(生没年不詳)♢南宗継・遠江守 南北朝時代 三河-備中国守護
赤田氏・家祖 備(生没年不詳)♢赤田隆・隼人正 室町時代 佐々木、京極家臣 戦国時代 丹羽-豊臣家臣 江戸時代 漢学者
福屋氏・家祖 兼広(生没年不詳)♢福屋隆兼・本明城主 戦国時代 尼子-織田-蜂須賀家臣 江戸時代 徳島藩士
福山氏・家祖 不明(生没年不詳)♢福山茲正・八橋城主 戦国時代 尼子家臣
丹下氏・家祖 不明(生没年不詳)♢丹下盛知・備中守 戦国時代 畠山家臣
沼本氏・家祖 不明(生没年不詳)♢沼本房家・備中守 戦国時代 赤松家臣
牛尾氏・家祖 真直(生没年不詳)♢牛尾幸清・遠江守 戦国時代 尼子-毛利家臣
富田氏 宇多源氏佐々木氏流・家祖 義泰(生没年不詳)♢富田秀貞・大夫判官 鎌倉時代 御家人 南北朝時代 美作国守護職、月山富田城城主
常盤氏・家祖 時範(1264-1307)♢常盤範貞・評定衆 鎌倉時代 六波羅探題北方
高城氏 落合氏流・家祖 重定(生没年不詳)♢高城重雄・鎮西引付衆 室町時代 肥前国三根郡西郷地頭職 戦国時代 祁答院氏家老-島津家臣
頼直流[1269-]
仁木氏・家祖 頼章(1299-1359)♤仁木頼章・左京大夫 室町時代 丹波・丹後・武蔵・下野守護(室町幕府執事・管領)
仁木氏・家祖 義長(1300-1376)♤仁木義長・右京大夫 室町時代 伊賀・伊勢・志摩・遠江・三河守護
足利氏・家祖 尊氏(1305-1358)♢足利義満・太政大臣 室町時代 室町幕府征夷大将軍 戦国時代 同上
斯波大崎氏・家祖 直持(1327-1383)♢大崎義直・左京大夫 室町時代 若狭国守護代 戦国時代 陸奥国大名
斯波最上氏・家祖 兼頼(1316-1329)♢最上義光・右京大夫 室町時代 山形城城主 戦国時代 出羽国大名 江戸時代 山形藩主
上野氏 清和源氏足利流・家祖 義弁(生没年不詳)♢上野信孝・民部大輔 室町時代 丹後国・石見国守護 戦国時代 足利家臣(奉公衆) 江戸時代 山形藩主
石橋氏・家祖 和義(生没年不詳)♤石橋和義・左衛門佐 南北朝時代 室町幕府引付頭人 室町時代 足利家臣
桃井氏・家祖 貞頼(生没年不詳)♢桃井直常・弾正大弼 南北朝時代 足利氏一門家臣 室町時代 後小松天皇-後花園天皇臣 朝倉家臣
二橋上杉氏・家祖 重顕(生没年不詳)♢上杉朝定・修理大夫 室町時代 丹後国守護 戦国時代 武蔵国松山城主 江戸時代 後継 扇谷上杉家 八条上杉家
山内上杉氏・家祖 憲顕(1306-1368)♤上杉憲顕・民部大輔 南北朝時代 上野・越後・伊豆守護 室町時代 同上 戦国時代 上野国大名 後継 信頼流
扇谷上杉氏・家祖 顕定(1306-1368)二橋上杉朝定流♢上杉持朝・修理大夫 室町時代 相模守護 戦国時代 武蔵国大名
八条上杉氏・家祖 朝顕(生没年不詳)二橋上杉朝定流♢八条成定・修理大夫 室町時代 越後国鵜川荘領主 戦国時代 同上 江戸時代後継家 八条氏
常陸小田氏・家祖 治久(1300-1353)♢小田氏治・大名 鎌倉時代 尾張権守 戦国時代 常陸国大名
薩摩本田氏・家祖 恒文(生没年不詳)♢本田親貞・下野守 戦国時代 島津家臣
日根野氏・家祖 時盛(生没年不詳)♢日根野弘就・美濃本田城主 戦国時代 斎藤-今川-浅井-織田-豊臣家臣 江戸時代 豊後国府内藩主
坪内氏 ◇冨樫氏流・家祖 頼貞(生没年不詳)♢坪内勝定・松倉城主 戦国時代 織田-徳川家 江戸時代 旗本
信濃村上氏・家祖 義日(?-1333)♤村上義日・左馬権頭 鎌倉時代 護良親王臣 南北朝時代 建武政権期の信濃惣大将 戦国時代 北信濃大名-上杉家臣-改姓 山浦
雨宮氏・家祖 義衡(生没年不詳)♢雨宮家次・十兵衛 戦国時代 武田-北条-武田家臣 江戸時代 旗本
安芸宍戸氏・家祖 朝家(1300-1363)♢宍戸元家・左衛門尉 戦国時代 大内-毛利家臣
山名氏・家祖 時氏(1303-1371)♢山名祐豊・右衛門督 南北朝時代 伯耆国・出雲国・隠岐国・因幡国・若狭国・丹波国・丹後国守護 戦国時代 但馬国守護大名 江戸時代 村岡藩主 明治時代 男爵
江口氏・家祖 不明(生没年不詳)♢江口光清 戦国時代 最上家臣
冨樫氏・家祖 泰家(生没年不詳)♢富樫晴貞・加賀介 室町時代 加賀国守護 戦国時代 加賀国守護大名 江戸時代 加賀藩の十村肝煎
安冨氏・家祖 照之(生没年不詳)♢安富盛定・筑前守 室町時代 讃岐東方守護代 戦国時代 雨滝城主
小幡氏 上野国・家祖 行頼(生没年不詳)♢小幡信真・国峯城主 戦国時代 上杉-武田-滝川−北条家臣 江戸時代 米沢藩士
天羽氏・家祖 不明(生没年不詳)♢天羽源鉄・手子丸城主(軍師) 戦国時代 小田家臣
頼貞流[1299-]
六角氏・家祖 氏頼(1326-1370)♤六角氏頼・近江守 室町時代 近江国守護 戦国時代 近江国守護大名 江戸時代 加賀藩士 明治時代 子爵
伊庭氏・家祖 満隆(生没年不詳)♢伊庭貞隆・出羽守 室町時代 近江国神崎郡伊庭領主 戦国時代 六角-足利家臣 江戸時代 和泉伯太藩代官 明治時代 住友本社理事長
朽木氏・家祖 経氏(生没年不詳)♢朽木元綱・河内守 室町時代 代官、武将 戦国時代 足利-織田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 旗本
筑紫氏・家祖 経重(生没年不詳)♢筑紫広門・左馬頭 室町時代 大内家臣 戦国時代 大友-豊臣家臣 江戸時代 旗本寄合席
間宮氏・家祖 景信(生没年不詳)♢間宮康俊・豊前守 戦国時代 北条家臣 江戸時代 旗本
三好宗氏・家祖 義長(?-1386)♢三好長慶・修理大夫 室町時代 麻植郡守護代 戦国時代 室町幕府山城〜摂津国守護代 江戸時代 旗本
朝倉氏・家祖 氏景(1339-1405)♢朝倉義景・左衛門督 室町時代 斯波氏被官 戦国時代 越前国大名 江戸時代 附家老・掛川城主
伊勢氏・家祖 貞信(生没年不詳)♢伊勢貞国・左衛門督 室町時代 室町幕府政所執事 戦国時代 室町幕府山城守護・政所執事 江戸時代 旗本
武蔵江戸氏・家祖 長門(生没年不詳)♤江戸長門・修理亮 室町時代 足利家臣 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 後継 喜多見家 小野家(旗本)
神戸氏・家祖 盛澄(生没年不詳)♢神戸具盛・下総守 戦国時代 北畠-織田家臣 江戸時代 断絶
大道寺氏 ◇小栗氏流・家祖 義清(生没年不詳)♢大道寺政繁・駿河守 戦国時代 北条家臣 江戸時代 福井藩士
片岡氏・家祖 盛保(生没年不詳)♢片岡光綱 戦国時代 長宗我部氏属 江戸時代 庄屋
関氏 平性・家祖 盛澄(生没年不詳)♢関一政・長門守 戦国時代 織田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 旗本
内山氏・家祖 不明(生没年不詳)♢内山吉明 戦国時代 依田-徳川家臣 江戸時代 江戸幕府書院番-旗本
信夫佐藤氏・家祖 基清(生没年不詳)♤佐藤基清 室町時代 伊勢国鷹屋郷領主
十河氏・家祖 吉保(生没年不詳)♢十河景滋・讃岐国十河城主 戦国時代 細川・三好家臣 江戸時代 高松藩士
阿波篠原氏・家祖 不明(生没年不詳)♢篠原長房・阿波国麻植郡上桜城主 戦国時代 三好家臣
天羽氏・家祖 不明(生没年不詳)♢天羽久利・ 出羽守 戦国時代 三好家臣
頼近流[1326-]
大内氏・家祖 義弘(1356-1400)♤大内義弘・左京権大夫 室町時代 守護大名(周防・長門・石見・豊前・和泉・紀伊守護) 戦国時代 周防国大名 江戸時代 牛久藩主 明治時代 子爵
牛久山口氏・家祖 持盛(1397-1433)♢山口重政・但馬守(星崎城主) 室町時代 周防国・長門国守護職 戦国時代 織田-徳川家臣 江戸時代 牛久藩主 明治時代 子爵
陶氏・家祖 弘賢(生没年不詳)♢陶晴賢・尾張守 戦国時代 大内家臣
冷泉氏・家祖 興豊(生没年不詳)♢冷泉隆豊・大夫判官 戦国時代 大内家臣 江戸時代 長州藩士
頼源流[1356-]
高水寺斯波氏・家祖 義淳(1397-1434)♢斯波義敏・左兵衛督 室町時代 越前・尾張・遠江守護 戦国時代 陸奥国大名 江戸時代 水戸徳川家家臣
石見吉見氏・家祖 詮頼(生没年不詳)♢吉見頼興・三河守 室町時代 奉公衆-大内家臣 戦国時代 大内-毛利家臣 江戸時代 水戸徳川家家臣
安房里見氏・家祖 家兼(生没年不詳)♢里見義堯・刑部少輔 戦国時代 安房国大名 江戸時代 館山藩主 明治時代 子爵
平手氏・家祖 秀家(生没年不詳)♢平手政秀・中務丞 戦国時代 織田家臣 江戸時代 芝村藩家老
尾張林氏 ◇河野氏流・家祖 通村(生没年不詳)♢林秀貞・但馬守 戦国時代 織田家臣 江戸時代 黒田藩家老
岩倉遠山氏・家祖 頼景(生没年不詳)♢遠山景任・大和守 戦国時代 土岐-武田-織田家臣
瀬名氏 ◇堀越氏流・家祖 堀越範将(生没年不詳)♢瀬名氏貞・陸奥守 戦国時代 今川-徳川家臣 江戸時代 旗本
陸奥黒川氏・家祖 氏直(生没年不詳)♢黒川晴氏・安芸守 戦国時代 陸奥国黒川郡鶴楯城主
白鳥氏・家祖 義久(生没年不詳)♢白鳥長久・白鳥城主 戦国時代 出羽国白鳥城、谷地城主
会津松本氏・家祖 輔行(生没年不詳)♢松本氏輔・白鳥城主 戦国時代蘆名家臣
由良氏・家祖 貞氏(生没年不詳)♢由良国繁・信濃守 戦国時代岩松家臣 江戸時代高家 明治時代改姓 新田
渋川氏 九州探題系・家祖 満直(1390-1434)♢渋川尹繁・右兵衛佐 戦国時代足利将軍家臣
天堂氏・家祖 頼直(生没年不詳)♢天童頼貞・和泉守 戦国時代天童城(舞鶴城)主 江戸時代伊達氏の準一家
横瀬氏・家祖 貞氏(生没年不詳)♢横瀬泰繁・信濃守 室町時代岩松家臣 戦国時代岩松-北条-豊臣-徳川家臣 江戸時代高家
出羽氏・家祖 実祐(生没年不詳)♢出羽祐盛・民部大輔 戦国時代大内-毛利家臣 江戸時代萩藩大組
岩倉織田氏・家祖 常松(生没年不詳)♢織田信賢・伊勢守 室町時代 尾張国守護代 戦国時代 尾張国岩倉城主 江戸時代 不明
清洲織田氏・家祖 常竹(生没年不詳)♢織田達勝・大和守 室町時代 清洲三奉行・尾張国楽田城主 戦国時代 斯波家臣 江戸時代 断絶
豊田氏・家祖 頼英(1403-1490)♤豊田頼英・下野公 室町時代 大和豊田城主・畠山氏属 戦国時代 松永氏属・筒井氏属 江戸時代 不明
加賀本多氏・家祖 正明(生没年不詳)♢本多正信・佐渡守 室町時代 松平家臣 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 加賀藩家老 明治時代 男爵
飛騨三木氏・家祖 正頼(生没年不詳)♢三木直頼・右兵衛督 室町時代 益田郡桜洞城 <戦国時代 飛騨国大名 江戸時代 旗本
姉小路氏・家祖 良頼(1520-1572)♢姉小路頼綱・大納言(自称) 室町時代 益田郡桜洞城 <戦国時代 飛騨国大名 江戸時代 復姓 三木・旗本
奥平氏・家祖 定家(生没年不詳)♢奥平信昌・美作守 戦国時代 今川-武田-徳川家臣 江戸時代 中津藩主 明治時代 伯爵
岩津松平氏・家祖 親氏(?-1414)♢松平信光・和泉守 室町時代 室町幕府政所執事伊勢貞親仕 戦国時代 同上 江戸時代 旗本蝦夷共和国副総裁
伊予河野氏・家祖 通弘(生没年不詳)♢河野通直・伊予守 戦国時代 伊予国大名
原田氏・家祖 種義(生没年不詳)♢原田隆種・弾正少弼 戦国時代 龍造寺-島津-小早川-佐々-加藤家臣 江戸時代 会津藩士
頼仲流[1397-]
北畠家(公家)・家祖 教具(1423-1471)♤北畠教具・権大納言(伊勢国司) 室町時代 守護大名 戦国時代 小幡藩主
磯野氏・家祖 員友(生没年不詳)♢磯野員昌・丹波守 戦国時代 浅井-織田家臣
庄林氏・家祖 不明(生没年不詳)♢庄林一心・隼人佐 戦国時代 荒木-仙石-加藤家臣 江戸時代 熊本藩士
和賀氏・家祖 義篤(生没年不詳)♤和賀義篤・大和守 戦国時代 陸奥国和賀郡の国人 江戸時代 仙台藩士
三河石川氏・家祖 政康(?-1502)♢石川数正・伯耆守 戦国時代 松平-徳川家臣 江戸時代 亀山藩主明治時代 子爵
近江浅井氏・家祖 重政(1423-1489)♢浅井長政・佐渡守 室町時代 武士 戦国時代 北近江大名
足利氏流柴田氏・家祖 義勝(生没年不詳)♢柴田勝家・修理亮 戦国時代 織田家宿老 江戸時代 旗本
板垣氏・家祖 信能(生没年不詳)♢板垣信方・板垣駿河守(武田四天王) 戦国時代 武田家臣 江戸時代 加賀藩士
津田氏 伊予橘姓・家祖 正信(1417-1503)♤津田正信・周防守 室町時代 河内国津田城主 <戦国時代 紀州根来衆 江戸時代 紀州藩士
楠木氏・家祖 二代正重(1427-1488)♢楠木正忠・兵部大輔 室町時代 千子派の刀工 <戦国時代 北畠家臣 江戸時代 断絶
東条氏・家祖 国氏(?-1476)♤東条国氏・近江守 室町時代 阿波国守護代
蜂須賀氏・家祖 政員(生没年不詳)♢蜂須賀正勝・修理大夫 戦国時代 織田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 富田藩主
美濃横山氏・家祖 兼長(生没年不詳)♢横山長隆・加賀八家横山家初代 戦国時代 前田家臣 江戸時代 旗本寄合 明治時代 男爵
青山宗氏・家祖 光教(生没年不詳)♢青山忠俊・伯耆守 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 郡上藩主 明治時代 子爵
高梨氏・家祖 政高(1418-1468)♢高梨政頼・刑部少輔 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 米沢藩氏
平岩氏・家祖 氏重(生没年不詳)♢平岩親吉・主計頭 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 姫路藩家老
三浦氏・家祖 高救(生没年不詳)♢三浦義同・陸奥守 室町時代 上杉家臣 戦国時代 東相模国大名 江戸時代 旗本
安房正木氏 ◇三浦氏流・家祖 通綱(生没年不詳)♢正木通綱・大膳亮 戦国時代 里見家臣 江戸時代 紀州藩家老
佐久間氏・家祖 安盛(生没年不詳)♤佐久間信盛・鳴海城主 戦国時代 織田家宿老 江戸時代 長沼藩主
安房安西氏・家祖 重朝(生没年不詳)♢安西景綱・弾正少弼 戦国時代 里見家臣
駿河安西氏 ◇三浦氏流・家祖 実胤(生没年不詳)♢安西能胤・但馬守 戦国時代 今川家臣 江戸時代 旗本
善通流[1423-]
北条氏 小田原・家祖 盛時(1456-1519)♢北条氏康・左京大夫 戦国時代 相模国大名 江戸時代 狭山藩主 明治時代 伊勢家改姓 子爵
三吉氏・家祖 致高(生没年不詳)♤三吉致高・安房守 戦国時代 山名〜毛利家臣 江戸時代 広島・長府藩士
稲葉氏・家祖 通則(1465-1525)♢稲葉良通・三位法印 戦国時代 土岐-斎藤-織田-豊臣家臣 江戸時代 淀藩主 明治時代 子爵
穴山武田氏・家祖 信介(生没年不詳)♢穴山信君・玄蕃頭 戦国時代 武田家臣 江戸時代 水戸藩主
近江吉田氏・家祖 重賢(1463-1543)♤吉田重賢・下野守(吉田流弓術の祖) 戦国時代 六角家臣
平戸松浦氏・家祖 弘定(1466-1515)♤松浦弘定・初名 正 - 法名 覚翁 戦国時代 肥前国平戸武将 江戸時代 平戸藩主
新発田氏・家祖 長経(生没年不詳)♢新発田重家・因幡守 戦国時代 長尾-上杉家臣
本郷氏・家祖 詮泰(生没年不詳)♢本郷信富・美作守 戦国時代 室町幕府申次衆 江戸時代 江戸幕府奏者番
鵜殿氏・家祖 長善(生没年不詳)♢鵜殿長持・長門守 戦国時代 今川家臣 江戸時代 鳥取藩家老
土肥富永氏・家祖 実吉(生没年不詳)♢富永直勝 戦国時代 北条-徳川家臣 江戸時代 旗本
猪俣氏 ◇富永氏流・家祖 邦憲(?-1605)♤猪俣邦憲・能登守 戦国時代 北条-前田家臣 江戸時代 加賀藩上士
美作佐藤氏・家祖 沢清(生没年不詳)♤佐藤沢清 戦国時代 大和国守護-戸川家臣 江戸時代 後継 藤原家
近江蒲生氏・家祖 貞秀(1444-1514)♢蒲生定秀・左兵衛大夫 室町時代 六角家臣 戦国時代 六角-織田家臣
鮎川氏・家祖 通長(生没年不詳)♢鮎川清長・信濃守 戦国時代 上杉家臣
岩松氏・家祖 尚純(1461-1511)♤岩松尚純・治部大輔 室町時代 上野国金山城主 戦国時代 交代寄合 明治時代 男爵
因幡三上氏・家祖 政実(1461-1511)♢三上経実・兵庫頭 室町時代 但馬国代官 戦国時代 奉公衆・道竹城主
寒川氏・家祖 元家(生没年不詳)♢寒川元隣・石馬頭 室町時代 讃岐国昼寝城主 戦国時代 讃岐国虎丸城主
遠藤氏・家祖 盛胤(生没年不詳)♤遠藤慶利・但馬守 戦国時代 斎藤-織田家臣 江戸時代 三上藩主 明治時代 子爵 改姓 東家
税所氏・家祖 篤重(1466頃-?)♢税所篤好 戦国時代 島津家臣(内戸役) 江戸時代 薩摩藩士 明治時代 子爵
江川氏・家祖 英元(生没年不詳)♢江川英長・太郎左衛門 戦国時代 北条-徳川家臣 江戸時代 代官
頼済流[1456-]
大江毛利氏・家祖 元就(1497-1571)♤毛利元就・陸奥守 戦国時代 安芸国大名 江戸時代 長州藩主 明治時代 公爵
越後北条氏・家祖 高広(1517-1587)♤北条高広・安芸守 戦国時代 上杉家臣
奈古屋氏 ◇毛利氏流・家祖 元堯(生没年不詳)♤奈古屋元堯・加賀守 戦国時代 大内-毛利家臣 江戸時代 徳山藩家老
上山氏・家祖 実広(生没年不詳)♢上山重広・加賀守 戦国時代 大内-毛利家臣
口羽氏・家祖 通良(1513-1582)♤口羽通良・下野守 戦国時代 毛利家臣 江戸時代 長州藩士
長尾氏・家祖 房長(1494-1552)♢長尾政景・越前守 戦国時代 上杉家臣・越後国坂戸城主 江戸時代 断絶
安芸香川氏・家祖 元景(生没年不詳)♢香川光景・侍従 戦国時代 安芸武田家臣-毛利家臣 江戸時代 徳大寺家仕(歌人)
板倉氏・家祖 頼重(生没年不詳)♢板倉勝重・侍従 戦国時代 松平好景の配下 江戸時代 旗本(江戸町奉行-京都所司代) 明治時代 子爵
米沢上杉氏・家祖 景勝(1556-1623)♤上杉景勝・権中納言(実父 長尾政景) 戦国時代 越後国大名 江戸時代 出羽米沢藩主 明治時代 伯爵
越後本庄氏・家祖 房長(?-1540)♢本庄繁長・越前守 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 出羽米沢藩士
上条上杉氏・家祖 政繁(1553-1643)♤上条政繁・織部正 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 旗本
柿崎氏・家祖 重家(?-?)♢柿崎景家・和泉守(上杉四天王) 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 米沢藩士
鳥居氏・家祖 忠吉(?-1572)♢鳥居元忠 戦国時代 徳川(松平)家臣、三河碧海郡渡城主 江戸時代 旗本 明治時代 子爵
長宗我部氏・家祖 兼序(?-1518)♢長宗我部元親・侍従 戦国時代 土佐国大名 江戸時代 土佐藩下級藩士
美濃斎藤氏・家祖 利政(1494-1556)♤斎藤道三・山城守 戦国時代 美濃国守護代大名 江戸時代 旗本
越後中条氏・家祖 藤資(1492-1568)♤中条藤資・七手組大将 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 米沢藩士
尾張岡田氏・家祖 重篤(生没年不詳)♢岡田重善・長門守 戦国時代 織田家臣
酒井氏 宗家・家祖 忠親(1463?-1536?)♢酒井忠次・左衛門督(徳川四天王) 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 出羽庄内藩主 明治時代 伯爵
森川氏・家祖 堀場氏兼(生没年不詳)♤森川氏俊・通称 金右衛門 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 旗本
岡野氏・家祖 田中泰行(?-1579)♢板部岡江雪斎・外交僧 戦国時代 北条-豊臣-徳川家臣 江戸時代 旗本
池田氏・家祖 恒利(?-1538)♤池田恒興・紀伊守 戦国時代 足利-織田-羽柴家臣 江戸時代 岡山藩主 明治時代 侯爵
相良氏・家祖 晴広(1513-1555)♢相良義陽・修理大夫 戦国時代 肥後国大名-君主 島津 江戸時代 人吉藩主 明治時代 子爵
三渕氏・家祖 晴員(1500-1570)♢三淵藤英・大和守 戦国時代 幕臣(奉公衆) 江戸時代 旗本
肥後細川氏・家祖 藤孝(1534-1610)♤細川藤孝・大蔵卿法印 戦国時代 幕臣-丹後国大名 江戸時代 肥後熊本藩主 明治時代 侯爵
三河渡辺氏・家祖 氏綱(1489-1563)♢渡辺守綱・槍半蔵(徳川十六神将) 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 旗本・尾張藩家老 明治時代 男爵
江馬氏・家祖 時盛(不明-1573)♤江馬輝盛・常陸介 戦国時代 飛騨高原諏訪城主
十市氏・家祖 遠忠(1497-1545)♤十市遠忠・兵部少輔 戦国時代 大和国龍王山城主
望月氏・家祖 盛昌(生没年不詳)♢望月信雅・遠江守 戦国時代 武田-徳川家臣
伊豆清水氏・家祖 綱吉(生没年不詳)♢清水康英・伊豆水軍 戦国時代 北条家臣 江戸時代 福井藩士-駿河国駿東郡沼津宿の本陣
伊丹氏・家祖 雅頼(生没年不詳)♢伊丹康直・大隅守 戦国時代 今川-武田-徳川家臣 江戸時代 徳美藩主
美濃安藤氏・家祖 守就(1503-1582)♢安藤定治・西美濃三人衆 戦国時代 斎藤-織田家臣 江戸時代 徳美藩主
土佐宿毛山内氏 ◇安藤氏流・家祖 可氏(1571-1629)♢山内定氏・左衛門佐 江戸時代 土佐藩の重臣
伊賀氏 ◇安藤山内氏流・家祖 氏理(1817-1889)♤伊賀氏理・左衛門佐 江戸時代 土佐藩の重臣 明治時代 男爵
成瀬氏・家祖 正頼(生没年不詳)♢成瀬正一・吉右衛門 戦国時代 武田-徳川家臣 江戸時代 犬山藩主 明治時代 子爵
向井氏・家祖 正重(生没年不詳)♢成瀬正綱・兵庫助 戦国時代 武田・徳川家臣(水軍) 江戸時代 旗本
黒田氏・家祖 重隆(1508-1564)♤黒田重隆・下野守 戦国時代 小寺-黒田家臣(黒田二十四騎) 江戸時代 不明
新庄氏・家祖 直寛(生没年不詳)♢新庄直頼・宮内卿法印 戦国時代 浅井-織田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 麻生藩主
笠間氏・家祖 不明(生没年不詳)♢笠間綱家・通称 孫三郎 戦国時代 茨城郡笠間城主
薩摩大久保氏 ◇斎藤氏流・家祖 仲兵衛(生没年不詳)♢大久保利通・大蔵卿(維新の三傑) 江戸時代 薩摩藩士 明治時代 侯爵
筒井氏・家祖 順興(1484-1535)♢筒井順慶・権少僧都 戦国時代 大和国大名 江戸時代 旗本
金森氏・家祖 定近(生没年不詳)♢金森長近・飛騨守 戦国時代 織田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 高山藩主
三河山本氏・家祖 晴幸(1493-1561)♤山本晴幸・軍師 戦国時代 武田家臣 江戸時代 旗本
篠原氏・家祖 一計(?-1549)♢篠原長重・加賀藩士篠原家の祖 戦国時代 前田家臣 江戸時代 加賀藩士
氏家氏・家祖 直元(1512-1571)♤氏家直元・常陸介 戦国時代 斎藤家臣 江戸時代 熊本藩士
小早川氏 ◇毛利氏流・家祖 隆景(1538-1593)♤小早川隆景・中納言 戦国時代 毛利家臣 江戸時代 後継 小早川秀秋
乃美氏・家祖 隆興(1513-1598)♢乃美景興・弾正忠 戦国時代 小早川-毛利家臣
朝比奈氏・家祖 泰能(1497-1557)♢朝比奈泰朝・備中守 戦国時代 今川家臣 江戸時代 旗本
後蒲池氏・家祖 鑑久(1494-1543)♢蒲池鑑盛・近江守 戦国時代 大友家臣 江戸時代 細川藩士
佐野氏・家祖 秀綱(1472-1546)♤佐野秀綱・越前守 戦国時代 唐沢山城主 江戸時代 旗本
桐生氏 ◇佐野氏流・家祖 親綱(?-1598)♤桐生親綱・又次郎 戦国時代 上野国柄杓山城主
伊予西園寺氏・家祖 実充(1510-1565)♢西園寺公広・西園寺十五将 戦国時代 伊予国大名-長宗我部-小早川 江戸時代 断絶
片山氏・家祖 康隆(生没年不詳)♢片山康元・兵内進 戦国時代 織田家臣 江戸時代 帰農
佐伯氏・家祖 惟治(生没年不詳)♢片山康元・兵内進 戦国時代 大友-西園寺家臣 江戸時代 伊勢国津藩士
吉政系田中氏・家祖 嵩弘(生没年不詳)♢田中吉政・侍従 戦国時代 宮部-豊臣-徳川家臣 江戸時代 旗本
丹波酒井氏・家祖 頼重(生没年不詳)♢酒井信政・筑後守 戦国時代 波多野家臣 江戸時代 農民村役
岡部氏・家祖 久綱(?-1547)♢岡部正綱・右衛門尉 戦国時代 今川-武田-徳川家臣 江戸時代 和泉国岸和田藩主
不破氏・家祖 光治(?-1583)♤不破光治・河内守 戦国時代 斎藤-織田家臣 江戸時代 加賀藩士
宇佐美氏・家祖 房忠(?-1514)♢宇佐美定満・駿河守 戦国時代 上杉家臣
丹波上林氏・家祖 氏忠(生没年不詳)♤上林氏忠・加賀守 戦国時代 御茶師(信長-秀吉仕)・徳川家臣 江戸時代 宇治郷代官
大藤氏・家祖 信基(生没年不詳)♤大藤信基・田原城主 戦国時代 北条家臣
葛西氏・家祖 晴胤(1497-1555)♤葛西晴胤・左京大夫 戦国時代 陸奥国大名
深谷長江氏・家祖 盛景(生没年不詳)♤長江勝景・月鑑斎 戦国時代 伊達家臣 江戸時代 仙台藩士
美濃佐藤氏 加茂郡伊深・家祖 忠能(生没年不詳)♤佐藤忠能・紀伊守 戦国時代 加治田城主 江戸時代 旗本
三河牧野氏・家祖 成富(生没年不詳)♢牧野保成・出羽守 戦国時代 一色-今川家臣-徳川家臣 江戸時代 越後長岡藩主 明治時代 子爵
笠原氏・家祖 信為(1543-1608)♤笠原信為・越前守 戦国時代 北条家臣 江戸時代 旗本
島氏・家祖 清国(生没年不詳)♢島左近・越前守 戦国時代 筒井-豊臣-石田家臣 江戸時代 旗本
栗山氏・家祖 利宗(生没年不詳)♢栗山利高・黒田八虎 戦国時代 黒田家臣 江戸時代 福岡藩士・和菓子屋「栗山堂 外郎」
柳生氏・家祖 家厳(1497-1585)♢柳生宗厳・但馬守 戦国時代 筒井-松永家臣 江戸時代 大和柳生藩主 明治時代 子爵
信濃飯田堀氏・家祖 利房(生没年不詳)♢堀秀政・左衛門督 戦国時代 斎藤-織田-豊臣家臣 江戸時代 飯田藩主 明治時代 子爵
上田氏・家祖 重氏(生没年不詳)♢上田重安・主水正 戦国時代 丹羽-豊臣-浅野家臣 江戸時代 広島藩家老家 明治時代 男爵
菅沼氏・家祖 定則(1493-1547)♢菅沼定村・織部正 戦国時代 今川-徳川家臣 江戸時代 旗本交代寄合
荒木氏・家祖 高村(生没年不詳)♢荒木村重・摂津守 戦国時代 池田-織田家臣 江戸時代 熊本藩士
近藤氏・家祖 満用(生没年不詳)♢近藤康用・石見守 戦国時代 今川-徳川家臣 江戸時代 井伊谷藩主
南氏・家祖 長義(1497-1583)♢南盛義・弾正少弼 戦国時代 南部家臣 江戸時代 晴政再興
藤堂宗氏・家祖 定条(生没年不詳)♢藤堂高虎・和泉守 戦国時代 浅井-豊臣-徳川家臣 江戸時代 津藩主 明治時代 伯爵
徳永氏・家祖 興昌(生没年不詳)♢徳永寿昌・式部卿法印 戦国時代 浅井-豊臣-徳川家臣 江戸時代 美濃高須藩主-旗本
色部氏・家祖 勝長(1493-1568)♤色部勝長・修理進 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 米沢藩家老
本堂氏・家祖 義親(生没年不詳)♢本堂茂親・伊勢守 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 旗本 明治時代 男爵
甲州小幡氏・家祖 小畠虎盛(1491-1561)♢小幡昌盛・豊後守 戦国時代 武田家臣 江戸時代 甲州流軍学の創始者(景憲)
安芸児玉氏・家祖 元実(生没年不詳)♢児玉就忠・毛利家五奉行 戦国時代 毛利家臣 江戸時代 徳山藩士 明治時代 伯爵
五代氏・家祖 助友(生没年不詳)♢五代友喜・右京亮 戦国時代 島津家臣 江戸時代 薩摩鹿児島藩士
祁答院氏・家祖 重武(1504-1538)♢祁答院良重・河内守 戦国時代 虎居城城主-喜入家臣
鵜飼氏・家祖 岩内(姓)(生没年不詳)♢鵜飼元辰・鵜新右 戦国時代 毛利-小早川-毛利家臣
北野氏・家祖 次郎右衛門(生没年不詳)♢北野孫兵衛・山代十一庄屋 戦国時代 毛利家臣
信頼流[1497-]
甲斐武田氏・家祖 晴信(1521-1573)♤武田信玄・信濃守 戦国時代 甲斐国守護大名 江戸時代 旗本
安芸武田氏・家祖 信実(1524-1555)♤武田信実・安芸守 戦国時代 室町幕府御供衆・安芸国領主 江戸時代 断絶
若狭武田氏・家祖 信豊(1514-1580)♤武田信豊・治部少輔 戦国時代 室町幕府若狭守護 安土桃山時代 朝倉-織田-明智家臣
松尾氏・家祖 信是(?-1571)♤松尾信是・民部少輔 戦国時代 武田家臣(武田一族)
河窪氏・家祖 信実(?-1575)♤河窪信実・兵庫介 戦国時代 武田家臣(武田一族)
真里谷氏・家祖 信隆(?-1551)♤真里谷信政 戦国時代 上総国大名
湯川氏・家祖 光春(?-1551)♢湯川直光・宮内大輔 戦国時代 紀伊国亀山城主 江戸時代 広島藩士
駒井氏・家祖 政武(?-1563)♤駒井政武 戦国時代 武田家臣(譜代家老衆) 江戸時代 勘定奉行、海軍奉行並など
国重氏・家祖 就正(1537-1611)♤国重就正・出雲守 戦国時代 毛利家臣 江戸時代 長州藩士
中山田氏・家祖 泰吉(1544-1619)♤中山田泰吉 戦国時代 香宗我部家臣
仁科氏 ◇武田氏流・家祖 盛信(1557-1582)♤仁科盛信 戦国時代 武田家臣 江戸時代 旗本
城氏・家祖 玉虫貞茂(生没年不詳)♤城景茂 戦国時代 上杉-武田-徳川家臣 江戸時代 旗本
三春浪岡氏・家祖 具運(1532-1576)♢浪岡具運・侍従 称号 陸奥国司家 戦国時代 陸奥国浪岡城主 江戸時代 三春藩家老
松前氏 ◇武田氏流・家祖 慶広(1548-1616)♤松前慶広・伊豆守 戦国時代 安東-秋田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 蝦夷地松前藩主(交代寄合)
馬場氏・家祖 信春(1515-1514)♤馬場信春・美濃守(武田四天王) 戦国時代 甲斐武田家譜代家老 江戸時代 旗本
長束氏・家祖 盛里(生没年不詳)♢長束正家・侍従 戦国時代 丹羽-豊臣家臣 江戸時代 豊前国小倉藩士
甘利氏・家祖 虎泰(?-1548)♤甘利虎泰・備前守(武田四天王) 戦国時代 甲斐武田家譜代家老
甲斐内藤氏・家祖 昌豊(1522-1575)♤内藤昌豊・大和守 戦国時代 武田家臣 江戸時代 会津藩家老
真田氏・家祖 幸綱(1513-1574)♢真田昌幸・安房守 戦国時代 武田家臣 江戸時代 松代藩主 明治時代 伯爵
海野氏・家祖 幸貞(?1510-?)♤海野幸貞 戦国時代 斎藤→武田家臣 江戸時代 断絶
勝幡織田氏・家祖 信長(1534-1582)♤織田信長・太政大臣 戦国時代 尾張国大名 江戸時代 尾張藩、明石藩家老 明治時代 子爵
仙石氏・家祖 秀久(1552-1614)♤仙石秀久・越前守 戦国時代 斎藤-織田家臣 江戸時代 出石藩主 明治時代 子爵
水野氏・家祖 信元(?-1576)♢水野忠重・和泉守 戦国時代 織田-徳川家臣 江戸時代 下総結城藩主 明治時代 子爵
山内上杉氏・家祖 輝虎(1530-1578)♤上杉謙信・従二位 戦国時代 越後国大名
宇喜多氏・家祖 直家(1529-1581)♢宇喜多秀家・権中納言 戦国時代 播磨国・備前国・備前国大名 江戸時代 八丈島への流罪
北氏・家祖 信愛(1523-1613)♢北信愛・尾張守 戦国時代 南部家臣 江戸時代 嫡流断絶
森氏・家祖 可成(1523-1570)♤森可成・美濃国金山城主 戦国時代 土岐-織田家臣 江戸時代 赤穂藩主 明治時代 子爵
関氏・家祖 成重(1528-1592)♢関成政・一宮城主 戦国時代 織田家臣 江戸時代 新見藩主 明治時代 子爵
庵原氏・家祖 朝儀(生没年不詳)♢庵原朝昌・井伊氏家老 戦国時代 武田-井伊-水野-井伊家臣 江戸時代 彦根藩次席家老
久松松平氏・家祖 俊勝(1526-1587)♢松平定勝・左近衛権少将 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 松山藩主 明治時代 伯爵
中西氏・家祖 不明(生没年不詳)♢中西元如・ 伊予守 戦国時代 筒井-徳川家臣 江戸時代 旗本
吉川氏・家祖 元春(1530-1586)♤吉川元春・駿河守 戦国時代 毛利家臣 江戸時代 岩国藩主 明治時代 子爵
牧氏・家祖 長義(生没年不詳)♤牧長義・小林城主 戦国時代 織田家臣
蘆名氏・家祖 盛氏(1521-1580)♤蘆名盛氏・修理大夫 戦国時代 陸奥国大名 江戸時代 久保田藩重臣 明治時代 断絶
児玉丹羽氏・家祖 長秀(1535-1585)♤丹羽長秀・越前守 戦国時代 織田家臣 江戸時代 白河藩主-二本松藩主 明治時代 子爵
竹中氏・家祖 重治(1544-1579)♤竹中重治・軍師 戦国時代 斎藤-浅井-織田-羽柴家臣 江戸時代 府内藩主-旗本交代寄合 明治時代 男爵
福岡氏・家祖 重孝(生没年不詳)♢福岡干孝・山内家中老 戦国時代 松永-筒井-山内家臣 江戸時代 土佐藩家老 明治時代 子爵
高坂氏・家祖 昌信(1527-1578)♤高坂昌信・弾正忠(武田四天王) 戦国時代 武田家臣 江戸時代 米沢藩士
戸田氏 大垣藩・家祖 氏光(生没年不詳)♢戸田氏鉄・采女正 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 近江膳所藩主-摂津尼崎藩主-美濃大垣藩主 明治時代 伯爵
布下氏・家祖 豊正(生没年不詳)♢布下豊明・伊勢 戦国時代 依田-徳川家臣 江戸時代 旗本
金丸氏・家祖 虎嗣(生没年不詳)♢金丸虎義・筑前守 戦国時代 武田家臣 江戸時代 旗本
今田氏・家祖 経高(1525-1604)♤今田経高・家老 戦国時代 吉川-毛利-吉川家臣 江戸時代 周防国岩国領家老
陸奥相馬氏・家祖 盛胤(1529-1601)♢相馬義胤・長門守 戦国時代 陸奥国大名 江戸時代 中村藩主 明治時代 子爵
上野氏 藤原良門流・家祖 秀政(?-1582)♤上野秀政・上野大和守 戦国時代 足利-明智-足利家臣
溝口氏・家祖 勝政(生没年不詳)♢溝口秀勝・伯耆守 戦国時代 丹羽-織田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 新発田藩主 明治時代 伯爵
平林氏・家祖 正家(生没年不詳)♢平林正恒・伯耆守 戦国時代 武田-上杉家臣 江戸時代 侍組分領家 明治時代 伯爵
瓦曽根秋山氏・家祖 虎繁(生没年不詳)♤秋山虎繁・武田二十四将 戦国時代 武田家臣譜代家老衆 江戸時代 大身旗本
矢沢氏・家祖 頼綱(1518-1597)♤矢沢頼綱・薩摩守 戦国時代 真田家臣-武田家臣 江戸時代 沼田藩家老
谷氏・家祖 衛好(1529-1579)♢谷衛友・出羽守 戦国時代 斎藤-織田家臣 江戸時代 山家藩主 明治時代 子爵
府中小笠原氏・家祖 長時(1514-1583)♤小笠原長時・大膳大夫 戦国時代 足利-上杉-織田-蘆名家臣 江戸時代 小倉藩主 明治時代 伯爵
松尾小笠原氏・家祖 信之(1570-1614)父酒井忠次♢小笠原政信・左衛門佐 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 関宿藩主-越前勝山藩主 明治時代 伯爵
下条氏・家祖 信氏(1514-1583)♤下条信氏・伊豆守 戦国時代 小笠原-武田家臣 江戸時代 大身旗本
安宅氏・家祖 冬康(?-1564)♤安宅冬康・摂津守 戦国時代 三好家臣 江戸時代 紀州徳川家地士
日比野氏・家祖 弘就(1518-1602)♢日根野高吉・織部正 戦国時代 斎藤家臣 江戸時代 旗本
中川氏・家祖 清秀(1542-1583)♤中川清秀・鬼瀬兵衛 戦国時代 池田-荒木-織田家臣 江戸時代 岡藩主 明治時代 伯爵
和泉小西氏・家祖 行正(1542-1583)♢小西行長・摂津守 戦国時代 宇喜多-豊臣家臣
松倉氏・家祖 重信(1538-1593)♢松倉重政・豊後守 戦国時代 筒井-徳川家臣 江戸時代 旗本
芦田氏・家祖 信守(?-1575)♢依田信蕃・右衛門佐 戦国時代 武田-徳川家臣 江戸時代 福井藩筆頭家老 明治時代 復姓 芦田
甲斐土屋氏 ◇金丸氏流・家祖 昌恒(?-1575)♤土屋昌恒・右衛門尉 戦国時代 武田-徳川家臣 江戸時代 土浦藩主 明治時代 子爵
米倉氏・家祖 重継(?-1575)♤米倉丹後守・足軽大将 戦国時代 武田家臣 江戸時代 米倉丹後守 明治時代 子爵
夏目氏・家祖 吉信(1518-1573)♤夏目吉信・徳川家康奉行 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 旗本
薩摩猿渡氏・家祖 信光(1518-1573)♤猿渡信光・掃部兵衛 戦国時代 島津家臣
秋元氏・家祖 景朝(1525-1587)♢秋元泰朝・但馬守 戦国時代 上杉-徳川家臣 江戸時代 館林藩主
二宮氏・家祖 就辰(1546-1607)♤二宮就辰・信濃守 戦国時代 毛利家臣 後継 門田家
山岸氏・家祖 深沢(生没年不詳)♢山岸尚家・信濃守 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 江戸留守居役
八木氏 九州南部・家祖 信親(生没年不詳)♢八木正信・越後守 戦国時代 島津家臣 江戸時代 鹿児島衆
一益系滝川氏・家祖 一益(生没年不詳)♤滝川一益・伊予守 戦国時代 織田家臣 江戸時代 旗本
浅野氏・家祖 長政(1547-1611)♢浅野幸長・侍従(豊臣政権五奉行) 戦国時代 織田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 紀伊和歌山藩主-広島藩主 明治時代 侯爵
会津山内氏・家祖 氏勝(1538-1608)♤山内氏勝・刑部大輔 戦国時代 蘆名家臣
九鬼氏・家祖 定隆(生没年不詳)♢九鬼嘉隆・宮内少輔 戦国時代 織田-豊臣家臣 江戸時代 三田藩主 明治時代 子爵
摂津高山氏・家祖 重房(生没年不詳)♢高山右近長房・大蔵少輔 戦国時代 織田-豊臣家臣
安芸白井氏・家祖 賢胤(生没年不詳)♤高賢胤・縫殿助 戦国時代 大友-小早川家臣
近江和田氏・家祖 惟政(1530-1571)♤和田惟政・紀伊守 戦国時代 摂津国半国守護(足利幕臣御供衆)・織田家臣
青木氏 麻田藩・家祖 重直(1529-1516)♢青木一重・民部少輔 戦国時代 豊臣家一門衆 江戸時代 麻田藩主 明治時代 子爵
小出氏・家祖 秀政(1540-1604)♤小出秀政・播磨守 戦国時代 豊臣-徳川家臣 江戸時代 和泉岸和田藩主-但馬出石藩主 明治時代 子爵
前田氏 尾張荒子・家祖 利家(1539-1599)♤前田利家・権大納言 戦国時代 林-織田-柴田-豊臣家臣 江戸時代 加賀藩主 明治時代 侯爵
小山田氏・家祖 信有(1519-1552)♤小山田信有・出羽守 戦国時代 武田(真田)-上杉家臣 江戸時代 水戸藩士
若槻氏・家祖 清尚(?-1548)♤若槻清尚・左京亮 戦国時代 村上家臣 江戸時代 儒学者
禰津氏・家祖 元直(生没年不詳)♢禰津常安・美濃守 戦国時代 武田(真田)-徳川家臣 江戸時代 鷹匠元締め
恩田氏・家祖 不明(生没年不詳)♢恩田民親・木工 戦国時代 武田(真田)家臣 江戸時代 松代藩家老
兼松氏・家祖 清秀(生没年不詳)♢兼松正吉・修理亮 戦国時代 織田-羽柴-豊臣-徳川家臣 江戸時代 尾張藩士
毛受氏・家祖 照昌(生没年不詳)♢毛受勝照・勝介 戦国時代 柴田家臣 江戸時代 尾張徳川家臣
高木氏・家祖 清秀(1526-1610)♤高木清秀・主水助 戦国時代 水野-織田-水野-織田-徳川家臣 江戸時代 河内国丹南藩主
富田氏 宇多源氏佐々木氏流・家祖 一白(?-1599)♢富田信高・信濃守 戦国時代 織田-豊臣-徳川家臣 江戸時代 水戸藩士
志村氏・家祖 真武(生没年不詳)♢志村貞盈・又左衛門 戦国時代 武田-徳川家臣 江戸時代 旗本
依田氏・家祖 芦田信守(?-1575)♢依田信蕃・右衛門佐 戦国時代 武田・徳川家臣 江戸時代 旗本
家頼流[1521-]
木下氏 足守藩・家祖 家定(1543-1608)♤木下家定・中納言 戦国時代 豊臣-徳川家臣 江戸時代 足守藩主-日出藩主 明治時代 子爵
尾張中島氏・家祖 氏種(?-1615)♤中島氏種・式部少輔 戦国時代 豊臣家臣 江戸時代 旗本
中山氏・家祖 家範(1548-1590)♢中山信吉・備前守 戦国時代 北条家臣 江戸時代 水戸藩附家老 明治時代 男爵
佐々氏・家祖 成政(1539-1588)♢近藤康用・石見守 戦国時代 織田-豊臣家臣 江戸時代 旗本
木梨氏・家祖 元恒(生没年不詳)♢木梨元次・壱岐守 戦国時代 毛利-黒田-毛利家臣 江戸時代 姫路藩士
三村氏・家祖 家親(?-1566)♤三村家親・紀伊守 戦国時代 備中国大名 江戸時代 福山藩家老
杉原氏・家祖 家次(?-1584)♢杉原長房・伯耆守 戦国時代 羽柴家臣 江戸時代 豊岡藩主
椋梨氏・家祖 弘平(生没年不詳)♢椋梨弘平・常陸守 戦国時代 小早川家臣
内田氏 相良氏流・家祖 鎮家(?-1619)♤内田鎮家・家老職・武者奉行 戦国時代 立花家臣 江戸時代 柳河藩士
糟屋氏・家祖 武則(1562-?)♤糟屋武則・内膳正 戦国時代 別所→豊臣家臣 江戸時代 加賀藩士、弓術日置流道雪派の祖
尾張武藤氏・家祖 舜秀(?-1579)♤武藤舜秀・馬寄城主 戦国時代 織田家臣
近江木村氏・家祖 定成(生没年未詳)♢木村重成・長門守 戦国時代 豊臣家臣 江戸時代 旗本
天草氏・家祖 鎮尚(生没年未詳)♢天草久種・弾正忠 戦国時代 肥後国河内浦城主
頼信流[1530-]
雑賀鈴木氏・家祖 重秀(生没年不詳)♤鈴木重秀・雑賀衆 戦国時代 本願寺→織田家臣 ・雑賀家 江戸時代 水戸藩士 明治時代 小来川村円光寺住職
米沢直江氏・家祖 兼続(1560-1620)♤直江兼続・山城守(上杉四天王) 戦国時代 上杉家臣 江戸時代 出石藩主 明治時代 断絶
伊達氏・家祖 政宗(1567-1636)♤伊達政宗・権中納言 戦国時代 出羽、陸奥国大名 江戸時代 仙台藩主 明治時代 伯爵
亘理伊達氏・家祖 成実(1568-1646)♤伊達成実・安房守 戦国時代 伊達家臣 江戸時代 仙台藩主 明治時代 男爵
片倉氏・家祖 景綱(1557-1615)♤片倉景綱・備中守(軍師) 戦国時代 伊達家臣 江戸時代 仙台藩士 明治時代 男爵
遊佐氏・家祖 祐信(?-1581)♢遊佐続光・安房守 戦国時代 畠山、上杉家臣 江戸時代 仙台藩主 明治時代 男爵
可児氏・家祖 吉長(1554-1613)♤可児才蔵・槍の名手 戦国時代 福島家臣 江戸時代 天下七兄弟
結城松平氏・家祖 秀康(1574-1607)♤結城秀康・正二位 戦国時代 豊臣・徳川家臣 江戸時代 越前松平家の祖
本多氏 平八郎・家祖 忠勝(1548-1610)♤本多忠勝・中務大輔(徳川四天王) 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 姫路藩主〜岡崎藩主 明治時代 子爵
山中氏・家祖 幸盛(1548-1610)♤山中幸盛・鹿介 戦国時代 尼子家臣 江戸時代 後継 鴻池家
真壁氏・家祖 氏幹(1550-1622)♤真壁氏幹・鬼真壁 戦国時代 佐竹家臣 江戸時代 久保田藩重臣
井伊氏・家祖 直政(1561-1602)♤井伊直政・侍従(徳川四天王) 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 彦根藩主 明治時代 伯爵
三河榊原氏・家祖 康政(1548-1606)♤榊原康政・式部大輔(徳川四天王) 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 姫路藩主 明治時代 子爵
馬籠佐藤氏・家祖 信実(生没年不詳)♤佐藤信実 戦国時代 葛西家臣
置賜佐藤氏・家祖 重元(生没年不詳)♤佐藤重元 戦国時代 伊達家臣
美濃佐藤氏 加茂郡川小牧・家祖 信則(生没年不詳)♤佐藤信則・紀伊守 戦国時代 織田家臣 江戸時代 旗本
酒井氏 雅楽頭・家祖 重忠(1549-1617)♢酒井忠世・侍従(大老) 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 上野那波藩主-伊勢崎藩主-厩橋藩主 明治時代 子爵
立花氏 柳川藩・家祖 宗茂(1567-1643)♤立花宗茂・飛騨守 戦国時代 大名(主君 大友-豊臣-徳川) 江戸時代 陸奥棚倉藩主-筑後柳河藩主 明治時代 伯爵
阿部氏 徳川譜代・家祖 正次(1569-1647)♢阿部正福・伊勢守 戦国時代 武将 江戸時代 宮津藩主-宇都宮藩主-福山藩藩主 明治時代 伯爵
大谷氏・家祖 吉継(1547-1611)♤大谷吉継・刑部少輔 戦国時代 豊臣家臣 江戸時代 福井藩家老 明治時代 侯爵
村田氏・家祖 吉次(1565-1621)♤村田吉次・出羽守 戦国時代 黒田家臣 江戸時代 筑前国福岡藩士
甘粕氏・家祖 景持(?-1604)♤甘粕景持・近江守(上杉四天王) 戦国時代 上杉家臣(桝形城主-三条城主) 江戸時代 米沢藩士
黒田氏 福岡藩・家祖 孝高(1546-1604)♤黒田孝高・勘解由次官(軍師) 戦国時代 織田-豊臣家臣(キリシタン大名) 江戸時代 福岡藩主 明治時代 侯爵
備中守中村氏・家祖 祐宗(?-1577)♤中村祐宗・備中守 戦国時代 宇喜多家臣
三河井上氏・家祖 正就(1577-1628)♤井上正就・主計頭(老中) 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 横須賀藩藩主 明治時代 子爵
土井宗氏・家祖 利勝(1573-1644)♤土井利勝・侍従(大老) 江戸時代 古河藩主 明治時代 子爵
六郷氏・家祖 道行(生没年不詳)♢六郷政乗・兵庫頭 戦国時代 小野寺-豊臣-徳川家臣 江戸時代 本荘藩主 明治時代 子爵
近江蒲生氏・家祖 氏郷(1556-1595)♤蒲生氏郷・参議 戦国時代 織田-豊臣家臣 江戸時代 陸奥会津藩主 断絶
小早川氏・家祖 秀秋(1582-1602)♤小早川秀秋・権中納言 戦国時代 豊臣-徳川家臣 明治時代 毛利養子再興 男爵
脇坂氏・家祖 安治(1554-1626)♤脇坂安治・淡路守 戦国時代 浅井-明智-豊臣-徳川家臣 江戸時代 竜野藩主 明治時代 子爵
土佐山内氏・家祖 一豊(1545-1546)♤山内一豊・土佐守 戦国時代 豊臣-徳川家臣 江戸時代 土佐藩主 明治時代 侯爵
永井氏・家祖 直勝(1563-1626)♤永井直勝・右近大夫 戦国時代 松平-徳川家臣 江戸時代 大和新庄藩主 明治時代 子爵
達頼流[1534-]
石田氏・家祖 三成(1560-1600)♤石田三成・治部少輔(豊臣政権五奉行) 戦国時代 豊臣家臣 江戸時代 弘前藩主
福島氏 高井野藩・家祖 正則(1561-1624)♤福島正則・参議(七将) 戦国時代 豊臣家臣 江戸時代 高井野藩主
中村氏・家祖 一氏(1560-1600)♤中村一氏・式部少輔(豊臣政権三中老) 戦国時代 豊臣家臣 江戸時代 米子藩主
速水氏・家祖 時久(生没年不詳)♢速水守久・甲斐守 戦国時代 豊臣家臣 江戸時代 熊本細川藩士
名古屋氏・家祖 山三郎(1572-1603)♤名古屋山三郎・伊達者(歌舞伎の祖) 戦国時代 蒲生家臣-京浪人-森家臣 江戸時代 加賀藩士
尾張大野氏・家祖 治長(1569-1615)♤大野治長・修理大夫(能書家) 戦国時代 豊臣家臣
平野氏・家祖 長泰(1559-1628)♤平野長泰・遠江守 戦国時代 豊臣-徳川家臣 江戸時代 旗本 明治時代 男爵
川瀬氏・家祖 六郎左衛門(1574-?)♤川瀬六郎左衛門・修理大夫(能書家) 戦国時代 浅野家臣 江戸時代 庄屋 明治時代 日本福音ルーテル八幡教会創始者・名誉牧師
有吉氏・家祖 立行(1559-1608)♤有吉立行・武蔵守 戦国時代 織田家臣 江戸時代 豊前中津藩家老
頼勝流[1567-]
田村氏・家祖 宗良(1637-1678)♤田村宗良・隠岐守 江戸時代 陸奥岩沼藩主 明治時代 子爵
奥平松平家・家祖 忠明(1583-1644)♤松平忠明・下総守 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 桑名藩主 明治時代 子爵
東条松平家・家祖 忠吉(1580-1607)♤松平忠吉・薩摩守 戦国時代 徳川家臣 江戸時代 尾張清洲藩主 明治時代 断絶
頼通流[1574-]
徳川宗家・継承 家光(1604-1651)♤徳川家光・左近衛大将 江戸時代 征夷大将軍 明治時代 公爵 現代 東家当主
尾張徳川家・家祖 義直(1601-1650)♢徳川宗春・権大納言 江戸時代 名古屋藩主 明治時代 侯爵
紀州徳川家・家祖 頼宣(1602-1671)♢徳川吉宗・八代将軍(右大臣) 江戸時代 和歌山藩主 明治時代 侯爵
水戸徳川家・家祖 頼房(1603-1661)♢徳川慶喜・十五代将軍(内大臣) 江戸時代 水戸藩主 明治時代 公爵
会津松平家・家祖 正之(1611-1673)♤保科正之・左近衛権中将兼肥後守 江戸時代 会津藩主 明治時代 子爵
越智松平家・家祖 清武(1663-1724)♢松平武元・右近衛将監 江戸時代 甲府藩主 明治時代 子爵
堀田宗氏・家祖 正盛(1609-1651)♢堀田正盛・加賀守(老中) 江戸時代 武蔵川越-信濃松本-下総佐倉藩主 明治時代 子爵
分部氏・家祖 光信(1591-1643)♤分部光信・左京亮 江戸時代 伊勢国上野藩主 明治時代 子爵
間部宗氏 西田氏流・家祖 詮房(1609-1651)♤間部詮房・侍従(老中格) 江戸時代 鯖江藩主 明治時代 子爵
頼盛流高氏庶流
岡松氏 南氏 大高氏 小高氏 大平氏 窪田氏 彦部氏 刑部氏 蘆屋氏 泉氏
頼済流南氏庶流
七戸氏 下田氏
信頼流山内氏庶流
横田氏
三つ引き紋の種類
丸の内に三つ引き 正木氏 佐久間氏
丸に放れ三つ引き 吉川氏 牧氏
丸に三つ引き 分部氏 間部氏
大河内松平家
松平伊豆守信綱
松平伊豆守信綱は、松田頼通の二男の松田幸右衛門信実である。
松田信実は、松平正綱の養子になり「松平正永」と名が変わる。
松平正綱と思われる、松田勝慶の後裔の一子・五郎が大河内秀綱の養子に入り、
大河内松平宗家の始祖となる。
正綱に実子の松平利綱が誕生すると、正永は諱を「信綱」と改める。
元和九年に御小姓組番頭に任命、その同年伊豆守に任官される。
松平伊豆守は、江戸時代に大河内松平家の人物が伊豆守に就任したときの呼び名である。
寛永十年には江戸幕府の老中に任じられ、寛永十四年、島原の乱の一揆を鎮圧させた。
翌年、信綱は老中首座となり、幕政を統括した。
後に、島原の乱の勲功が賞され、寛永十六年に六万石で武蔵国川越藩に移封する。
徳川家綱時代になると、家綱の補佐に当たり、慶安四年、慶安の変を鎮圧し、
承応元年、老中暗殺を目的とした承応の変も鎮圧した。
明暦三年に起きた明暦の大火の災害復旧に尽力し、手腕を働かせ、
その後、寛文二年に老中の在職のまま死去した。
信綱は知恵伊豆と称され、江戸幕府体制を完成させた主要な人物である。
人物・逸話
・家光は「いにしへよりあまたの将軍ありといへども、我ほど果報の者はあるまじ。
右の手は讃岐(酒井忠勝)、左の手は伊豆」(『空印言行録』)と評し、
忠勝と信綱が幕府の確立に大きく寄与したことを評価している。
また「伊豆守のごとき者を今一人持ったならば心配は無いのだが」と小姓の三好政盛に
語った。
・柳生宗矩、春日局と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人に数えられた。
・酒井忠勝は阿部忠秋に「信綱とは決して知恵比べをしてはならない。
あれは人間と申すものではない」と評している。
その他多数
考察
正綱と信綱の養子は偽りで、松田家からの分家となり、
「松平伊豆守家」は後に「吉田藩大河内松平家」となる。
「正永」から「信綱」と諱を変えている事から、
織田信長との関連性を暗示している。
正永の諱は山科言綱にも関連付けされており、山科言綱は永正十五年六月二十六日叙従三位
とある。最終的には従二位・権中納言で、永正の年号から上下反対になっていることがわかる。
山科言綱の先代が言国から通字を反対にして、山科家から今川国氏、そして松平信綱までは家系
としてつながっている事実を示していると解釈できる。
「正」の字は、大河内松平宗家との関係性を示していおり、実際に松平伊豆守家から正温が
養子に、また大河内松平宗家の輝聴が高崎藩松平家に養子と支流的な関係が見てとれる。
また、鹿苑寺流の二つの流れがクロスする形状が二匹の蛇を表し性的な意味を持し、
副紋が蛇目紋から無鄰菴にある猪◯問題と紐付けていると解釈する。
(伊勢平氏維盛流を参照 →)
(無鄰菴を参照 →)
大河内松平家
高崎藩
〇代 松平信綱(1596 - 1662)− 武蔵国忍藩主、武蔵国川越藩主 伊豆守
一代 松平信興(1630 - 1691)− 常陸国土浦藩主 因幡守
二代 松平輝貞(1665 - 1747)− 下野国壬生藩主、越後国村上藩主、
上野国高崎藩初代藩主 右京大夫
三代 松平輝規(1682 - 1756)− 上野国高崎藩二代藩主 右京大夫
四代 松平輝高(1725 - 1781)− 上野国高崎藩三代藩主 右京大夫
五代 松平輝和(1750 - 1800)− 上野国高崎藩四代藩主 右京大夫
六代 松平輝延(1776 - 1825)− 上野国高崎藩五代藩主 右京大夫
七代 松平輝承(1817 - 1839)− 上野国高崎藩六代藩主 右京亮
八代 松平輝徳(1820 - 1840)− 上野国高崎藩七代藩主 右京亮
九代 松平輝充(1822 - 1862)− 上野国高崎藩八代藩主 右京亮
十代 松平輝聴(1827 - 1860)− 上野国高崎藩九代藩主 右京亮
十一代 松平輝聲(1848 - 1882)− 上野国高崎藩十代藩主 右京亮
奈良松田家
◯代 戸田氏秀(1872 - 1924)− 東宮職庶務課長 宮内事務官兼式部官
一代 松田徳太郎(1890 - 1940)− 上野国高崎藩十代藩主 右京亮
信綱の五男、高崎藩初代の信興は、
徳川家綱の側近として中奥小姓、小姓組番頭、
御側、若年寄、奏者番、大坂城代、京都所司代などの要職を歴任した。
上野高崎藩主初代(高崎藩大河内松平家二代)の輝貞、
老中格に長きに渡り重きを置いた。
輝貞は、大身旗本・松平信定の十男の輝規を養嗣子に迎え、
輝規は高崎藩大河内松平家三代となる。
高崎藩大河内松平家四代・輝高は老中首座となり、
大河内松平家では信綱につづき、幕府の政務を統括した。
高崎藩大河内松平家十一代、輝声は松平姓を改め、本姓の大河内に復する。
輝声の四男・輝耡は、大垣藩戸田家十二代戸田氏共の婿養子となり、
至輝の曽祖父にあたる氏重が嫡男として誕生。
考察
大河内輝声は享年三十四歳で死去、四男の戸田氏秀(大河内輝耡)は、
四十二歳の若さで亡くなっている。
輝耡が生まれた年に、大河内輝声はこの世を去っている。
輝耡の後に大河内光孝という名称がある。
また、徳太郎は1890年生まれなので、年代がずれているように思われる。
輝耡の生まれた年がもう十年ほど早いのではないだろうか。
さすれば、大河内輝声が二十四歳で四男の輝耡が生まれたことになり、
戸田氏秀は十八歳の時に一男の氏重(徳太郎)が誕生することになる。
後の項目としてある、山縣有朋の無鄰菴につながることが自然な流れとなる。
同じ年に亡くなる不自然さや、大河内光孝という輝耡の弟らしからぬ人物名。
何かが、年代を変えて記載されていると考察する。
それから、式部官という官職は、式部職が一九四九年六月に設置とある。
戸田氏秀の没年が、一九二四年になるので、事情は不明であるが、
あるはずも無い職業に就いている。
考えられることは、式部職の先駆け的な位置付けと見れば自然と言える。
式部官と言う官職は、藤原四家の式家に由来することと、
それを示すことから、発足されたのではないだろうか。
藤原式家の由来は、家祖の藤原宇合が式部卿を兼ねたことからその名が付いたとされる。
因みに式部卿は、文官の人事考課、礼式、及び叙位及び任官、行賞を司る機関である。
式部官から、松平四家の存在が裏付けされると同時に、右京大夫は兼職を示している。
藤原宇合は右大臣と兼ねていたとあるので、高崎藩も右大臣、もしくはクロスの観点から、
左大臣を兼ねていたと考える事ができる。
官位相当は、正・従二位とあり、従一位が、右大臣や左大臣としても不自然ではない。
信綱が家光の左腕との逸話から、左大臣が有力と考える。
それゆえに、奈良松田家三代目の父は、藤原道長や藤原頼通が、
左大臣の役職を長期にわたって保持し続けたとあるので
藤原頼通が、父の別荘であった寺院に改めた宇治平等院を訪れたことにつながる。
無論、松田頼通がそれを示している。
いずれにしても、左大臣、及び従二位以上なのは相違ないことが見えてくる。
徳川家光が贈正一位太政大臣とあるので、
松平信綱は、左大臣と太政大臣を兼ねていた可能性も視野に入る。
つまり、現代の内閣総理大臣の先駆けである。
したがって、征夷大将軍より上の役職となる。
松平信綱は、当時の時代で誰も成し得なかった、
政治の真の頂点を極めたのではないかと考える。
逸話から考察するに、神がかっていたのであろう。
全てにおいて、征夷大将軍より上という事でなく、時代の時の人により、
最終官位が従二位から正一位までの間にあったと読み解く事ができる。
松田宗家の極官が、太政大臣兼左大臣になることが予測される。
伊勢平氏維盛流
系図
自然血族
平高望 ─ 国香 ─ 貞盛
┌───────────────┘
│
└ 平維衡 ─ 正度 ─ 維盛 ─ 貞度 ─ 盛房 ─ 業房
┌─────────────────────────────────────┘
│
└ 山科教成 ─ 教房 ─ 教頼 ─ 教定
┌─────────────────────────┘
│ 山科頼房
└ 松田頼盛 ─ 頼直 ─ 頼貞 ─ 頼近 ─ 頼源 ─ 頼仲
┌──────────────────────────────────────┘
│
└─── 善通 ─ 頼済 ─ 信頼 ─ 頼信 ─ 頼通
┌────────────────────────────────┘
│
└ 松平信綱 ─ 輝綱 ─ 信輝 ─ 信祝 ─ 正温 ─ 正升
┌──────────────────────────────────────┘
│
└─── 正路 ─ 正敬 ─ 輝聴 ─ 輝聲
┌─────────────────────────┘
│
└─── 氏秀 ─ 徳太郎 ─ 幸太郎 ─ 幸一郎 ─ 至輝
伊勢平氏維盛流
伊勢平氏を始祖とし、至輝へとつづく血筋の物語。
平維衡を始祖とする伊勢平氏平維盛流の平業房は、後白河天皇の院近臣。
業房と高階栄子との子の教成は、父・平業房が、平家の平宗盛に処刑されたのち、
母の丹後局(高階栄子)が後白河法皇の寵妃になり故の、法皇の命により、山科教実の養子となる。
山科教成から五代目にあたる頼房が、曽祖父の平家による処刑の経緯から、
松田頼盛と名乗り分家、鎌倉幕府の御家人となる。
娘の千手姫は、祖の徳大寺公親の諱などの縁より、
三条実行を始祖とする三条公親の養子になり、
後深草天皇の皇妃、遊義門院皇后宮御匣。
後深草天皇と間に生まれた久明親王は、鎌倉幕府第八代征夷大将軍。
八代将軍の久明親王を庇護するかのように頼盛をはじめ、一男・頼直、二男・頼行もまた、
鎌倉幕府の中枢を奉行人としてその役目を全うする。
室町幕府では、五つの流派に分かれ、評定衆、奉行衆、奉公衆をそれぞれ任官し、
幕府滅亡後に、頼貞流後裔の頼通の二男信実は、江戸幕府の重臣となるために松田の名を捨て、
家名を松平、諱を信綱と変え、幕府の老中として国作りに貢献する。
松平信綱(松田信実)は、松平伊豆守家の家祖となる過程で、
養父の正綱が死去した際は、実子の松平正信に
大河内松平宗家の後を継がせて、自らは拒絶した。
理由に挙げられることは、養子であり、
祖の松田達頼流であることの誇りが、独立した分家を選んだと推察される。
松平伊豆守家三代・信祝の三男・正温は、
松平正貞の養子に入り、大河内松平宗家五代目となる。
大河内松平宗家八代・正敬の四男・輝聴は、
高崎藩大河内松平家九代・松平輝充の養嗣子に迎えられる。
その後裔、輝声の四男・輝耡は、戸田家の婿養子となり戸田氏秀と名が変わる。
氏秀の嫡男・氏重は、戸田家の継承者ではない為、信綱の想いや松田祖の頼貞流を受け継ぎ、本姓を松田と復し分家する。
※系図では、信綱から至輝までを本姓である松平氏として記載している。
伊勢平氏維盛流
大河内松平家
松平伊豆守家第一代
一、松平信綱(1596 - 1662)[伊豆守・侍従 武蔵国忍藩主、武蔵国川越藩主 老中首座]
松平伊豆守家第二代
二、松平輝綱(1660 - 1725)[甲斐守 武蔵国川越藩第二代藩主]
松平伊豆守家第三代
三、松平信輝(1660 - 1725)[伊豆守 武蔵国川越第藩三代藩主、下総国古河藩初代藩主]
松平伊豆守家第四代
四、松平信祝(1683 - 1744)[伊豆守 下総古河第二代藩主、三河国吉田藩主、遠江浜松藩初代藩主 老中]
大河内松平宗家第五代
五、松平正温(1725 - 1782)[弾正忠 上総大多喜藩第三代藩主]
大河内松平宗家第六代
六、松平正升(1742 - 1804)[弾正忠 上総大多喜藩第四代藩主]
大河内松平宗家第七代
七、松平正路(1765 - 1808)[弾正忠 上総大多喜藩第五代藩主]
大河内松平宗家第八代
八、松平正敬(1794 - 1832)[織部正 上総大多喜藩第六代藩主]
高崎藩大河内松平家第十代
九、松平輝聴(1827 - 1860)[右京亮 上野国高崎藩主 寺社奉行]
高崎藩大河内松平家第十一代
十、松平輝聲(1848 - 1882)[右京亮 上野国高崎藩主]
至宝家
公家・女系
至輝と共に生きる四つの公家の名家。
三条家・藤原北家閑院流嫡流(清華家)
徳大寺家・藤原北家閑院流(清華家)
四条家・藤原北家魚名流嫡流(羽林家)
山科家・四条流庶流(羽林家)
これら四家を、三条流、「公家至宝四家」もしくは、「至宝四家」と呼ぶ。
至輝と共に生きる公家一家、武家二家の名門。
岩倉家・松平京家流
戸田家・松平京家信頼流
肥田家・松平西家流
これら三家を、三条流、「女系至宝三家」もしくは、「至宝三家」と呼ぶ。
山科家
至宝家
系図
山科実教 ─ 教成 ─ 教房 ─ 教頼 ─ 教定 ─ 教行
┌────────────────────────────────────┘
│
└── 教言 ─ 教興 ─ 教豊 ─ 顕言 ─ 言国 ─ 言綱
┌─────────────────────────────────────┘
│
└── 言継 ─ 言経 ─ 言緒 ─ 言総 ─ 言行 ─ 持言
┌─────────────────────────────────────┘
│
└── 堯言 ─ 頼言 ─ 敬言 ─ 忠言 ─ 言知 ─ 言成
┌─────────────────────────────────────┘
│
└── 言縄 ─ 言綏 ─ 家言 ─ 言泰 ─ 言和 ─ 言親
┌ 教賢(家号北谷、以後断絶)
山科教頼 ─ 教定 ──┼ 教宗
├ 季成
├ 頼房 ─ 教兼 ┬ 教広
├ 定平 └ 教音
├ 女子
├ 女子
└ 教行(本流)
岩倉家
至宝家
至輝の高祖父氏秀の女系を辿ると、
戸田氏共の正室・米子の母が岩倉具視の三女の極子である。
極子は優雅な美貌や物腰から「鹿鳴館の華」言われた。
明治三年十二月に大垣藩知事・戸田氏共と婚約。
翌年、東京で挙式を挙げた。
極子の父、岩倉具視は、
公卿・堀河康親の次男として誕生し、
天保九年に岩倉具慶の養子となり具視と名を改める。
岩倉家は家格は公家の羽林家であるが、
村上源氏久我家から江戸時代に分家した新家であるため、
位階・官位は高くなく、裕福ではなかった。
岩倉具視は偉大な躍進を遂げ、維新の十傑の一人。
維新の十傑とは明治維新に尽力した志士の中で、
山脇之人『維新元勲十傑論』に挙げられた、優れた十人を指す名数。
西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、維新の三傑を始め、
公家・岩倉具視含む他七名から成る。
明治六年には太政大臣代理兼任、明治九年に華族会館長兼帯し、従一位に昇叙。
同年に、勲一等旭日大綬章受章する。
明治十六年、咽頭癌を患い、日本初の癌告知を受け、その年に死去する。
大垣藩戸田家
至宝家
系図
戸田氏光 ─ 一西 ─ 氏鉄 ─ 氏信 ─ 氏西 ─ 氏定
┌────────────────────────────────────┘
│
└── 氏長 ─ 氏英 ─ 氏教 ─ 氏庸 ─ 氏正 ─ 氏彬
┌─────────────────────────────────────┘
│
└── 氏共 ─ 氏秀 ─ 氏忠
戸田氏共
╟── 米子 ┌ 氏重(松田姓) ─ 幸太郎
岩倉具視 ─ 極子 ╟──┼ 氏忠(戸田流嫡流)
松田氏秀 └ 氏直(戸田流支流)
大垣藩戸田家
至宝家
大垣藩戸田家祖の戸田一西は、天正三年、
長篠の戦いで酒井忠次の旗下として働き、
天正九年高天神城の戦い武田軍に勝利し、軍功を挙げる。
二代・氏鉄は関ヶ原の戦いに参陣し、元和二年に近江膳所藩を相続。
寛永十二年に美濃大垣藩十万石となり初代藩主となる。
寛永十四年島原の乱では老中松平信綱とともに出陣し戦功を立てる。
十二代・氏共は、位階勲等爵位は従一位勲一等、華族の伯爵に叙爵する。
官職はオーストリア=ハンガリー全権公使、式部長官など。
氏共は、女系しか授からず、明治時代に入り、
大河内家から輝耡を婿養子に迎え、後継者に据る。
自称の出自が正親町三条家とする大垣藩戸田家と、大河内松平家は、
松田祖の三条家との縁により、親密な関係になりえたと推察する。
また、養子に至る経緯としては、真の出自が松平東家流で、
同じ祖の松田家の血筋であることが大きな要因であるとともに、
関連する類似性が多く見られるからと考える。
氏秀(輝耡)の嫡男・氏重は、戸田家の継承者から外れ、
大河内松平家から代々伝わる、松田宗家を伝承し、
未来において真実を伝えるため、本姓を松田祖の「松田」に復し、
奈良の地に身を置いた。
肥田家
至宝家
肥田家は至輝の母方の姓であり、清和源氏土岐氏流の武家の家系にある。
母方の出自は、肥田氏でも母方の父親の諱が「喜三次」から
尾張肥田氏の肥田喜内の後裔と見られる。
肥田文左衛門は、織田信長より三千石を賜り名古屋家中中老職、
尾張肥田氏の祖となる。
肥田利勝は養子として生駒宗家を継ぐことから、
後に出てくる猪◯事件にかけている。
肥田孫三郎忠寅は、尾張徳川家家老、で徳川秀忠と上杉輝虎に重ねている。
源氏物語資料を収集。名古屋城三の丸75居住。
肥田喜内は、尾張徳川家家臣、名古屋城三の丸90居住とある。
母方の叔父が名古屋へ婿養子に行っていることから、
尾張肥田氏である証と考える。
家紋
至宝四家
上杉家
主要関連家
山内上杉氏(家祖 憲実 継承者 謙信 関東管領、上野国・武蔵国・伊豆国守護)
扇谷上杉氏(家祖 重顕 丹後国守護)
八条上杉氏(家祖 重顕 越後国鵜川荘領主)
加賀爪上杉氏(家祖 政定 武蔵国高坂館主)
米沢上杉氏(家祖 景勝 継承 山内上杉家 米沢藩主 伯爵)
深谷上杉氏(家祖 憲英 武蔵国庁鼻和城主)
新田上杉氏(家祖 勝周 米沢新田藩主 子爵)
上条上杉氏(家祖 政繁 越後国上条城主)
越後国大名上杉家
君主
上杉謙信(京家 弾正少弼 関東管領 越後国大名 元名 輝虎)
上杉景勝(京家 権中納言 豊臣政権 五大老 越後国大名 通称 喜平次)
上杉四天王
柿崎景家(京家 和泉守 柿崎城・猿毛城主 通称 弥次郎 七手組 越後十七将 上杉二十五将)
直江景綱(京家 大和守 与板城主 仮名 神五郎 越後十七将 四天王後継 兼続 上杉二十五将)
直江兼続(京家 山城守 米沢藩家老 越後十七将)
宇佐美定満(京家 駿河守 軍師 通称 四郎右衛門尉 七手組 越後十七将 上杉二十五将)
甘粕景持(京家 近江守 三条城主 越後十七将)
上杉二十五将
長尾政景(京家 越前守 坂戸城主 通称 新五郎)
長尾景秋(京家 家老 通称 権四郎)
斎藤朝信(京家 下野守 赤田城主 異名 越後の鍾馗 越後十七将)
小国頼久(京家 修理亮 天神山城主 別名 頼基)
本庄繁長(京家 越前守 本庄城主 米沢藩士 通称 弥次郎 渾名 鬼神 七手組 越後十七将)
本庄実乃(京家 美作守 栃尾城主 奉行職 別名 新左衛門尉 七手組)
千坂景親(京家 対馬守 四家老 鉢盛城主 米沢藩 江戸家老 別名 清胤)
甘粕清長(京家 備後守 越後上田衆 白石城代 元名 景継)
色部長実(京家 修理大夫 平林城主 通称 惣七郎)
新津勝資(京家 丹波守 新津城主 別名 勝義)
水原親憲(京家 常陸介 浦佐城主 別名 弥七)
安田能元(京家 上総介 米沢藩士 通称 弥九郎 越後十七将)
北条景広(京家 丹後守 異名 鬼弥五郎)
中条藤資(京家 越前守 鳥坂城主 通称 弥三郎 七手組)
竹俣慶綱(京家 三河守 揚北衆 通称 太郎)
加地春綱(京家 安芸守 揚北衆 飯山城主 別名 彦次郎)
岩井信能(京家 備中守・民部少輔 会津三奉行 通称 経俊)
山本寺景長(京家 不動山城主 通称 松三)
志駄義秀(京家 修理亮 夏戸城主 通称 源四郎)
高梨頼包(京家 通称 源三郎)
金津義旧(京家 通称 新兵衛)
吉江定仲(西家 中務丞)
家臣
越後国人衆
小島貞興(京家 乙吉城主 通称 慶之助 渾名 鬼小島 越後十七将)
荒川長実(京家 伊豆守 荒川保領主 越後十七将)
鮎川清長(京家 信濃守 揚北衆 大葉沢城主 法号 岳椿斎元張)
鮎川盛長(京家 揚北衆 大葉沢城主 通称 孫次郎)
色部勝長(京家 修理進 平林城主 通称 弥三郎)
北条高広(京家 安芸守 北条城主 別名 安芸入道芳林)
安田長秀(京家 但馬守 安田城主 別名 武包)
安田景元(京家 越中守 安田城主)
安田顕元(京家 掃部助 安田城主 別名 惣八郎)
上野家成(京家 中務大輔 節黒城主 通称 源六)
黒川清実(京家 備前守 揚北衆 黒川城主)
新発田長敦(京家 尾張守 揚北衆 新発田城主 通称 源次郎)
河田長親(京家 豊前守 奉行職 栖吉城主 号 禅忠)
山吉豊守(京家 丹波守 三条城主 別名 孫二郎)
下平吉長(京家 修理亮 千手城主 別名 秀広)
中条景泰(京家 越前守 鳥坂城主 揚北衆 通称 与次)
大熊朝秀(西家 備前守 箕冠城主 別名 長秀)
吉江宗信(西家 常陸介吉 吉江城主 別名 常陸入道宋誾)
吉江景資(西家 織部佑 吉江城主 通称 与橘)
他国衆
高梨政頼(京家 刑部少輔 出身 信濃国中野 越後十七将)
大石綱元(京家 播磨守 出身 武蔵国 別名 兼綱)
椎名康胤(京家 右衛門大夫 出身 越中国 松倉城主)
長尾輝景(京家 左衛門尉 出身 上野国 白井長尾家九代当主)
長野業正(北家 信濃守 出身 上野国 上野国箕輪城主 諡号 一盛斎)
長野業盛(北家 弾正忠 出身 上野国 通称 新五郎)
遊佐続光(京家 美作守 出身 能登国 畠山七人衆)
大宝寺義勝(京家 出羽守 出身 出羽国 別名 武藤義勝)
上泉信綱(京家 兵法家 新陰流の祖・夢想流の祖)
神保長職(東家 越中守護代 初代越中富山城主 法号 宗昌)
神保氏張(東家 安芸守 越中守山城主、古国府城主 通称 宗五郎)
神保長城(東家)
藤田信吉(京家 越後長島城主 下野西方藩初代藩主 通称 弥六郎)
須田満親(京家 相模守 信濃国大岩城城主 別名 舟見規泰)
倉賀野尚行(京家 上野国倉賀野城主 別名 長左衛門)
伊達家
主要関連家
伊達氏(家祖 朝宗 継承者 晴宗 出羽国、陸奥国戦国大名 仙台藩主 伯爵)
宇和島伊達氏(家祖 秀宗 伊予国宇和島藩主 侯爵)
吉田伊達氏(家祖 宗純 伊予国吉田藩主 男爵)
亘理伊達氏(家祖 実元 仙台藩一門第二席 男爵)
陸奥国大名伊達家
君主
伊達輝宗(京家 左京大夫 陸奥国大名 仮名 彦太郎)
伊達政宗(京家 権中納言 陸奥国大名 渾名 独眼竜)
伊達三傑
片倉景綱(京家 備中守 軍師 仙台藩士 通称 小十郎)
伊達成実(京家 安房守 二本松城主 仙台藩初代藩主 仮名 藤五郎)
鬼庭綱元(西家 石見守 安達郡百目木城主 別名 了庵・延元)
家臣
原田宗時(京家 宿老家 通称 左馬之助)
石川昭光(京家 大和守 陸奥仙台藩重臣 角田石川家初代当主 通称 小二郎)
留守政景(京家 上野介 利府城主 号 雪斎 通称 六郎)
亘理元宗(京家 兵庫頭 亘理郡亘理城主 号 元安斎)
亘理重宗(京家 美濃守 亘理郡亘理城主 別名 源五郎)
国分盛重(京家 三河守 横手城 別名 彦九郎)
桜田元親(西家 宿老 伊予宇和島藩侍大将 別名 玄蕃)
越前松平家
主要関連家
家祖
結城秀康(京家 権中納言 越前国北荘藩(福井藩)初代藩主 通称 三河少将)
分家
福井松平家(京家 家祖 忠昌 越前国福井藩[三十二万石] 侯爵)
雲州松平家(京家 家祖 直政 出雲国松江藩[十八万石] 伯爵)
前橋松平家(京家 家祖 直基 上野国前橋藩[十七万石] 伯爵)
明石松平家(京家 家祖 直良 播磨国明石藩[八万石] 子爵)
津山松平家(京家 家祖 宣富 美作国津山藩[十万石] 越前松平家宗家 子爵)
越前福井松平家
松平忠昌 [1607-1645](福井藩三代藩主 上総姉崎藩主[一万石] 常陸下妻藩主[三万石] 信濃松代藩主[十二万石]
越後高田藩主[二十五万石] 越前北庄藩主[五十二万石] 伊予守 実父 結城秀康[二男])
松平光通 [1645-1674](福井藩四代藩主[四十五万石] 越前守 実父 松平忠昌[二男])
松平昌親 [1674-1676](福井藩五代藩主[四十七万五千石] 左近衛権少将 実父 松平忠昌[五男])
松平綱昌 [1676-1686](福井藩六代藩主[四十七万五千石] 左近衛権少将 実父 松平昌勝[一男])
松平吉品 [1686-1710](福井藩七代藩主[二十五万石] 左近衛権少将 前名 昌親 実父 松平忠昌[五男])
松平吉邦 [1710-1721](福井藩八代藩主[二十五万石] 伊予守 実父 松平昌勝[六男])
松平宗昌 [1710-1721](福井藩九代藩主[三十万石] 侍従・内匠頭 実父 松平昌勝[三男])
松平宗矩 [1724-1749](福井藩十代藩主[三十万石] 左近衛権少将 実父 松平知清[二男])
松平重昌 [1749-1758](福井藩十一代藩主[三十万石] 左近衛権少将・越前守 実父 徳川宗尹[一男])
松平重富 [1758-1799](福井藩十二代藩主[三十万石] 左近衛権中将 実父 徳川宗尹[三男])
松平治好 [1799-1825](福井藩十三代藩主[三十二万石] 左近衛権中将 実父 松平重富[一男])
松平斉承 [1826-1835](福井藩十四代藩主[三十二万石] 左近衛権少将 実父 松平治好[三男])
松平斉善 [1835-1838](福井藩十五代藩主[三十二万石] 左近衛権中将 実父 徳川家斉[二十二男])
松平春嶽 [1835-1838](福井藩十六代藩主[三十二万石] 大学別当・侍読 実父 徳川斉匡[八男])
松平茂昭 [1835-1838](福井藩十七代藩主[三十二万石] 越前守 実父 松平直春[四男] 福井藩知事 侯爵)
雲州松平家
松平直政 [1619-1666](家祖 松江藩初代藩主 越前木本藩主[一万石] 上総姉崎藩主[一万石] 越前大野藩主[五万石]
信濃松本藩[七万石] 出雲松江藩主[十八万六千石] 左近衛権少将 実父 結城秀康[三男])
松平綱隆 [1666-1675](松江藩二代藩主[十八万六千石] 出羽守・侍従 実父 松平直政[一男])
松平綱近 [1675-1704](松江藩三代藩主[十八万六千石] 出羽守・侍従 実父 松平綱隆[四男])
松平吉透 [1704-1705](松江藩四代藩主[十八万六千石] 出羽守・侍従 実父 松平綱隆[五男])
松平宣維 [1705-1731](松江藩五代藩主[十八万六千石] 出羽守・侍従 左近衛権少将 実父 松平吉透[二男])
松平宗衍 [1731-1767](松江藩六代藩主[十八万六千石] 出羽守・侍従 左近衛権少将 実父 松平宣維[一男])
松平治郷 [1767-1806](松江藩七代藩主[十八万六千石] 佐渡守 出羽守・侍従 左近衛権少将 茶人 実父 松平宗衍[二男])
松平斉恒 [1806-1822](松江藩八代藩主[十八万六千石] 出雲守 出羽守 実父 松平治郷[一男])
松平斉斎 [1822-1853](松江藩九代藩主[十八万六千石] 出羽守・左近衛権少将 実父 松平斉恒[一男])
松平定安 [1853-1871](松江藩十代藩主[十八万六千石] 出羽守・左近衛権少将 実父 松平斉孝[七男])
前橋松平家|直基系越前松平家
松平直基 [1604-1626](家祖 下総結城氏十九代当主 越前勝山藩主[三万石] 越前大野藩主[五万石] 出羽山形藩主[十五万石]
播磨姫路藩主[十五万石] 大和守・侍従 実父 結城秀康[五男])
松平直矩 [1666-1675](二代 越後村上藩主[十五万石] 播磨姫路藩主[十五万石] 豊後日田藩主[七万石]
出羽山形藩主[十万石] 陸奥白河藩初代藩主[十五万石] 大和守・侍従 実父 松平直基[一男])
松平基知 [1695-1729](三代 白河藩ニ代藩主[十五万石] 大和守・侍従 実父 松平直矩[二男])
松平明矩 [1729-1741](四代 白河藩三代藩主[十五万石] 大和守・侍従 実父 松平知清[一男])
松平朝矩 [1748-1768](五代 上野前橋藩主[十五万石] 川越藩初代藩主[十五万石] 大和守・侍従 実父 松平明矩[一男])
松平直恒 [1768-1810](六代 川越藩二代藩主[十五万石] 大和守・侍従 実父 松平朝矩[二男])
松平直温 [1810-1816](七代 川越藩三代藩主[十五万石] 大和守・侍従 実父 松平直恒[二男])
松平斉典 [1816-1850](八代 川越藩四代藩主[十五万石] 大和守・侍従 左近衛少将 実父 松平直恒[四男])
松平典則 [1850-1854](九代 川越藩五代藩主[十五万石] 大和守 実父 松平斉典[四男])
松平直侯 [1854-1861](十代 川越藩六代藩主[十五万石] 大和守・侍従 実父 徳川斉昭[八男])
明石松平家|直良系越前松平家
松平直良 [1628-1678](家祖 下総結城氏十九代当主 越前木本藩主[二万五千石] 越前勝山藩主[三万五千石]
越前大野藩初代藩主[五万石] 侍従・但馬守 実父 結城秀康[六男])
松平直明 [1678-1701](二代 越前大野藩二代藩主[五万石] 播磨明石藩初代藩主[六万石] 市正 実父 松平直良[三男])
松平直常 [1701-1743](三代 播磨明石藩二代藩主[六万石] 但馬守・侍従 実父 松平直明[一男])
松平直純 [1743-1764](四代 播磨明石藩三代藩主[六万石] 左兵衛督 実父 松平直常[一男])
松平直泰 [1764-1784](五代 播磨明石藩四代藩主[六万石] 若狭守・左兵衛督 実父 松平直純[一男])
松平直之 [1784-1786](六代 播磨明石藩五代藩主[六万石] 左兵衛佐 実父 松平直泰[一男])
松平直周 [1786-1816](七代 播磨明石藩六代藩主[六万石] 大蔵大輔 実父 松平直泰[三男])
松平斉韶 [1816-1840](八代 播磨明石藩七代藩主[六万石] 左近衛権少将 実父 松平直周[二男])
松平斉宣 [1840-1844](九代 播磨明石藩八代藩主[八万石] 左近衛権少将 実父 徳川家斉[二十六男])
松平慶憲 [1844-1869](十代 播磨明石藩九代藩主[八万石] 左近衛権中将 実父 松平斉韶[一男])
松平慶憲 [1869-1871](十一代 播磨明石藩十代藩主[八万石] 侍従・左兵衛督 実父 松平慶憲[一男])
津山松平家
松平宣富 [1698-1721](家祖 美作津山藩初代藩主[十万石] 左衛門督備前守 実父 松平直矩[三男])
松平浅五郎 [1721-1726](美作津山藩二代藩主[五万石] 実父 松平宣富[一男])
松平長煕 [1726-1735](美作津山藩三代藩主[五万石] 越後守 実父 松平知清[三男])
松平長孝 [1735-1762](美作津山藩四代藩主[五万石] 越後守・侍従 実父 松平近朝[三男])
松平康哉 [1762-1794](美作津山藩五代藩主[五万石] 越後守・侍従 実父 松平長孝[一男])
松平康乂 [1794-1805](美作津山藩六代藩主[五万石] 越後守 実父 松平康哉[二男])
松平斉孝 [1805-1831](美作津山藩七代藩主[十万石] 左近衛中将 実父 松平康哉[三男])
松平斉民 [1831-1855](美作津山藩八代藩主[十万石] 左近衛権中将・越後守 実父 徳川家斉[十五男])
松平慶倫 [1831-1855](美作津山藩九代藩主[十万石] 左近衛中将 津山知藩事 実父 徳川家斉[四男])
松平康倫 [1856-1877](津山松平家十代当主 実父 徳川斉民[四男])
松平康民 [1861-1921](津山松平家十一代当主 貴族院議員 正三位勲三等・従二位 子爵 実父 徳川斉民[五男])
徳川御三家
主要関連家
尾張徳川家(京家 家祖 義直 尾張名古屋藩[六十二万石] 侯爵)
紀伊徳川家(京家 家祖 頼宣 紀伊和歌山藩[五十六万石] 侯爵)
水戸徳川家 (京家 家祖 頼房 常陸水戸藩[三十五万石] 公爵)
尾張徳川家
徳川義直 [1607-1645](尾張名古屋藩初代藩主[六十二万石] 新陰流第四世 権大納言 通称 徳川右兵衛督 実父 松田頼通)
徳川光友 [1650-1693](尾張名古屋藩二代藩主[六十二万石] 新陰流第六世 権大納言 通称 子明 実父 徳川義直[一男])
徳川綱誠 [1693-1699](尾張名古屋藩三代藩主[六十二万石] 新陰流第七世 権中納言 字 子明 実父 徳川光友[一男])
徳川吉通 [1699-1713](尾張名古屋藩四代藩主[六十二万石] 権中納言 字 子中 実父 徳川綱誠[十男])
徳川五郎太 [1713](尾張名古屋藩五代藩主[六十二万石] 実父 徳川吉通[一男])
徳川継友 [1713-1730](尾張名古屋藩六代藩主[六十二万石] 権中納言 別名 通顕 実父 徳川綱誠[十一男])
徳川宗春 [1730-1739](尾張名古屋藩七代藩主[六十二万石] 権中納言 通称 求馬 実父 徳川綱誠[二十男])
徳川宗勝 [1739-1761](尾張名古屋藩八代藩主[六十二万石] 左近衛少将 通称 監物 実父 松平友著[十一男])
徳川宗睦 [1761-1799](尾張名古屋藩九代藩主[六十二万石] 権大納言 異名 名古屋藩中興の名君 実父 徳川宗勝[二男])
徳川斉朝 [1800-1827](尾張名古屋藩十代藩主[六十二万石] 権大納言 実父 徳川治国[一男])
徳川斉温 [1827-1839](尾張名古屋藩十一代藩主[六十二万石] 権大納言 実父 徳川家斉[十九男])
紀伊徳川家
徳川頼宣 [1619-1667](紀伊和歌山藩初代藩主[五十六万石] 権大納言 尊称 南龍公 実父 松田頼通)
徳川光貞 [1667-1698](紀伊和歌山藩二代藩主[五十六万石] 権大納言 実父 徳川頼宣[一男])
徳川綱教 [1698-1705](紀伊和歌山藩三代藩主[五十六万石] 権中納言 実父 徳川光貞[一男])
徳川頼職 [1698-1705](紀伊和歌山藩四代藩主[五十六万石] 左近衛権少将 実父 徳川光貞[三男])
徳川吉宗 [1705-1716](紀伊和歌山藩五代藩主[五十六万石] 右大臣 征夷大将軍 通称 新之助 実父 徳川光貞[四(末)男])
徳川宗直 [1716-1757](紀伊和歌山藩六代藩主[五十六万石] 権大納言 通称 儀大夫 実父 松平頼純[五男])
徳川宗将 [1757-1765](紀伊和歌山藩七代藩主[五十六万石] 権中納言 実父 徳川宗直[一男])
徳川重倫 [1765-1775](紀伊和歌山藩八代藩主[五十六万石] 権中納言 法号 太真 実父 徳川宗将[二男])
徳川治貞 [1775-1789](紀伊和歌山藩九代藩主[五十六万石] 権中納言 別名 紀州の麒麟 実父 徳川宗直[二男])
徳川治宝 [1789-1824](紀伊和歌山藩十代藩主[五十六万石] 大納言 俗称 数寄の殿様 実父 徳川重倫[二男])
徳川斉順 [1824-1846](紀伊和歌山藩十一代藩主[五十六万石] 権大納言 実父 徳川家斉[七男])
徳川斉彊 [1846-1849](紀伊和歌山藩十二代藩主[五十六万石] 権大納言 実父 徳川家斉[二十一男])
徳川家茂 [1849-1858](紀伊和歌山藩十三代藩主[五十六万石] 権大納言 征夷大将軍 別名 徳川慶福 実父 徳川斉順[二男])
徳川茂承 [1858-1869](紀伊和歌山藩十四代藩主[五十六万石] 権中納言 別名 徳川慶福 実父 松平頼学[六男])
水戸徳川家
徳川頼房 [1609-1661](紀伊和歌山藩初代藩主[二十八万石] 権中納言 別名 水戸頼房 実父 松田頼通)
徳川光圀 [1661-1690](紀伊和歌山藩二代藩主[二十八万石] 権中納言 別名 水戸黄門 実父 徳川頼房[三男])
徳川綱條 [1690-1718](紀伊和歌山藩三代藩主[三十五万石] 権中納言 別名 頼国 実父 松平頼重[二男])
徳川宗堯 [1718-1730](紀伊和歌山藩四代藩主[三十五万石] 参議 諡号 成公 実父 松平頼豊[一男])
徳川宗翰 [1730-1766](紀伊和歌山藩五代藩主[三十五万石] 参議 諡号 良公 実父 徳川宗堯[二男])
徳川治保 [1766-1805](紀伊和歌山藩六代藩主[三十五万石] 権中納言 諡号 文公 実父 徳川宗翰[一男])
徳川治紀 [1805-1816](紀伊和歌山藩七代藩主[三十五万石] 参議 諡号 武公 実父 徳川治保[一男])
徳川斉脩 [1816-1829](紀伊和歌山藩八代藩主[三十五万石] 右近衛権中将・参議・権中納言 別名 鼎山 実父 徳川治紀[一男])
徳川斉昭 [1829-1844](紀伊和歌山藩九代藩主[三十五万石] 権大納言 別名 潜閣 諡号 烈公 実父 徳川治紀[三男])
徳川慶篤 [1844-1868](紀伊和歌山藩十代藩主[三十五万石] 諡号 順公 実父 徳川斉昭[一男])
徳川昭武 [1868-1871](紀伊和歌山藩十一代藩主[三十五万石] 左近衛権少将 別名 民部公子 字 子明 実父 徳川斉昭[十八男])
家紋
松田家
松平伊豆守家
大多喜藩大河内松平宗家
高崎藩大河内松平家
山科家と戸田家
家紋
上杉家
家紋
大河内松平家「臥蝶に十六菊」
大河内松平宗家の替紋と高崎藩大河内松平家の替紋は「臥蝶に十六菊」。
前置きに、『応仁後記』には、三河の在住の大河内正綱ら三河・遠江の地の諸勢力を集まり「
菊一揆」を結成したことが記されている。
集団の合標が「十六葉菊」であることから由来し、そのように称された。
大河内家の家紋はそれまで「臥蝶(浮線蝶)」であったが、
正綱が長沢松平家分家の松平正次の養子になることで、
大河内松平家という新しい家ができ、前述で述べたことを家紋の趣旨として、
臥蝶の中央に十六菊を取り入れた「臥蝶に十六菊」を定紋に用いたと想定する。
正綱は、大河内秀綱の子ではく、松田勝慶の一子であり、松平正次の養子となることで、
松田頼貞流の後継家名「大河内松平家」が誕生し、それに合わせて機会を見定め、
「臥蝶に十六菊」という新たな門出となる家紋が創作されたと思われる。
つまり、大河内松平家だけの家紋であり、
大河内顕綱から始まる大河内宗家は、定紋は変わらず「臥蝶(浮線蝶)」と推測する。
「臥蝶に十六菊」の家紋は、途中で替紋となるが、流れ上初めは定紋として用いられたと捉える。
正綱が十六葉菊を取り入れた意図は、祖の松田家の物語にある、久明親王含む松田祖への想いと受け止める。
家紋にある蝶は、血筋が伊勢平氏の意。十六菊の周りを取り囲む三つの蝶は、久明親王(鎌倉幕府征夷大将軍)を
お護りする松田頼盛、頼直、頼行を見立てていると、考えられる。
正綱の養子になった信綱もまた、分家し、その想いを家紋に付け加え、
伊勢平氏維盛流松田家の「丸に二本松」の「丸」を取り入れた。
それが伊豆蝶と呼ばれる家紋に秘められた平和への想いである。
同時に読み取れることは、公家出身の羽林家の証でもあり、羽林とは天皇を護る宮中の宿衛。
また、信綱の功績に祝して、「三つ扇」の家紋を定紋にすれば、
続いて、大多喜藩大河内松平宗家、高崎藩大河内松平家もそれを定紋に合わせたと見える。
替紋の「臥蝶に十六菊」は、伊勢平氏の意から解き明かせば、根底にある血筋であり、
表立つのは扇子。それは現状の大河内松平家を表し、根底ある魂は、天皇をお護りする伊勢平氏である。
定紋は三つの扇子、替紋は三つの蝶と菊、それは表の心と裏の心。即ち、大河内松平家と松田家を暗示している。
したがって、祖の伝承により、我が家系の家紋となるべき運命にある。
尚、松平伊豆守家は、信腹の代以降吉田藩主となり、
定紋「伊豆蝶」、替紋「三つ反り扇」としている。
証
検非違使別当
松田家頼の代から松平信綱の代まで続く「検非違使別当(唐名・大理卿)」
検非違使は、日本の律令制下の令外官の役職で、
「非違(不法、違法)を検察する天皇の使者」の意。
頼貞流は頼貞の代から弾正台、刑部、そして検非違使を兼任していたように思われる。
松田信頼の代で弾正台の尹及び、検非違使別当の官位まで上り詰めたと考える。
その後、家頼、頼勝へと受け継がれていったと推測する。
そもそも、弾正台は平安時代に検非違使が創設されて以来、
徐々に権限を奪われ有名無実化したとあり、
兼任していたと考えることが自然である。
伊豆守系大河内松平家祖の松平信綱は、流れ上、松平と本姓を変えたことから、素性を伏せるため、
検非違使別当という官職を陰で遂行していたと思われる。
弾正尹の唐名である「御史大夫」は御史台の長官で、皇帝の側近の筆頭として、政策立案を司っていた。
即ち、「御史大夫家」「大理卿家」も天皇の使者である。
至輝の血筋は、松田信頼「大理卿家(御史大夫家)」から松平信祝を経由し、そして
延享元年(1744年)八月、
正三位行権中納言兼左衛門督柳原光綱が検非違使別当に就任しており、
享禄元年から松田家と大河内松平家ニ家に渡り、二百十六年続いた、
「検非違使別当」の官職を信祝の代で退いた形となった。
年号の延享は1744年から1748年の四年間あり、
四と八は、四条流、頼貞流の四番目と、松田八郎左衛門頼盛、久明親王八代将軍の八を意味する。
この間に江戸幕府八代将軍徳川吉宗と桜町天皇が次の世代に官位を譲渡しており、
年号の延享とは、信頼の始まり「享禄」とかけ、
受け入れば、広がる意と捉え、前向きな姿勢であると考える。
将軍と天皇がそれを示し、同調している。
そこから伺えることは、日本国に貢献したきた上々の証であると言えるのではないか。
その後大河内松平宗家の正温から正路までは弾正忠とあるので、
検非違使大尉を務めていた可能性を示唆する。
余談にて、信復の代で、吉田藩主となった松平伊豆守家は、
「伊豆蝶」の家紋を裏とする理由がなくなり、
定紋を「伊豆蝶」、替紋を「三つ反り扇」としたと思われる。
証
羽林家
検非違使別当の官職の名が、資料に次のように記されている、藤原忠平(公家)、柳原量光(名家)、
油小路隆貞(羽林家)、文室秋津(皇別)とあり、これらは公家や皇族であるからして、
検非違使別当の官職につくことは、羽林家の証である。
また、藤原北家四条流・羽林家の七番目である八条家が成立するのが、
家祖の八条隆英が生存していた年代、1702年-1756年の間である。
この年代の間に、松平伊豆守家は検非違使別当を引退しており、八条とは八番目の意と解釈し、
1744年引退年と思われる同年に、八条家が成立した可能性があるように考える。
隆英はたかてると読み、「隆」は四条家の通字で、四条家祖の「隆季」からきている。
「英(てる)」は秀経流の松田英致、松田秀雄から英雄と読み、輝(てる)は高崎藩の通字でもある。
更に、松田秀経は源義経(検非違使少尉)とかけ、義経は平家を滅ぼした立役者である英雄との解釈。
それ上の四条流は、弾正尹、検非違使別当を英雄と讃え、引退を機に、四条流の羽林家は七家であるが、
八条家成立と共に、松田家を含む八家あるとの意志を示していると捉える。
西大路家の祖の年代からその次に藤原北家四条流松田家(頼貞流)が成立したと思われる。
集約すれば、戸田家の九曜の家紋の周りにある八つの星は、四条流八家との例えの意になり、
中央にある大きな星は、天皇を示していることに置き換えられていると考えられる。
羽林家を象徴し、本阿弥家の星梅鉢紋と重ねているように思える。
また、松田家は大河内松平家であることも同時に証明していることになる。
幕末の時代の転換期となった戊辰戦争では、至輝の直系である、
高崎番大河内松平家は、新政府に属し、天皇の側にある。
吉田藩大河内松平家(松平伊豆守家)と大多喜藩大河内松平宗家は、
幕府軍に属している。
この相違は何かと解けば、
吉田藩の当主は松平信古、大多喜藩の当主は松平正質である。
双方とも間部家からの養子であり、
松平信綱とは女系でつながっている点に要因がある。
高崎藩大河内松平家から松田氏重、至輝へと続く系統は、
松田家祖から続く、真の松田家の嫡流と言えるのではないか。
最後に、大河内松平家の菩提寺は平林寺で、
同じ松平京家家頼流の分家に平林家があり、
平林正恒が出羽米沢藩士である。
かつて、出羽国は最上が戦国大名までに成長し、
最上家は松平京家流であることに、
大河内松平家は自身で羽林家であることを示している。
藤原北家閑院流徳大寺流・羽林家
大河内家
藤原北家四条流・羽林家
四条家、山科家、西大路家、松田家
油小路家、鷲尾家、櫛笥家、八条家
無鄰菴
大河内松平家と無鄰菴
至輝の血筋を辿れば、「松平伊豆守家」「大多喜藩大河内松平宗家」「高崎藩大河内松平家」
と主要な大河内松平家を経由しており、「信綱」を重んじる思想により、
「松田家頼流」の後裔は、達頼流と勝慶流から形成される「大河内松平家」になり、
達頼流四系統、勝慶流四系統、計八つの系統に分けれ、
松田祖の頼直以下の四つの系統を表している。
大河内松平家は謎多き家柄である。
公家で羽林家であるならば、
松田宗家高崎藩大河内松平家は、輝耕にある従四位下から正三位の間と考えられる。
多くの官位として、従四位下、従五位下と偽っている。
これは、検非違使別当ということを悟られない擬装と、
直系の祖の頼貞嫡流と秀経流を表す目的と推測する。
したがって、大河内家から戸田家の婿養子となった氏秀は、四男と五男を後継者としたことから、
これに合わせた後継者の選定を行った可能性があると考えられる。
現段階では、理不尽な後継者の選定を行ったため、曽祖父の氏重は増して祖を示すことに執着し、
明治時代に松田に復したと推測する。
臥蝶に十二菊
平林寺の墓地にある、吉田藩大河内家と思われる家紋は「丸に臥蝶に十二菊」である。
私が作成した「臥蝶に十二菊」とは大きくデザインが異なる。
「十二葉菊」は明治維新に於いて、姓を大河内とするときに、
天皇家を憚って十六菊から十二菊に変更し、デザインを一新したと思われる。
官位の謎の解明
輝貞〜輝延 従四位下、右京大夫
輝承〜輝声 従五位下、右京亮
松平四家から家紋の法則を紐解けば、左巴と右巴から考える。
左巴は「松平京家(南家)」右巴は「松平東家」となり、
官位の内容と家紋などがクロスしている。
ここから官位の真意を解いてゆく。
四番目の頼盛嫡流(家頼嫡流)から見た視点。
「従四位下(右京)大夫」は、四番目は下ではなく、大夫と合わせ一番上となる。
「右京」は、四番目は右ではなく、左となる。
つまり、
「従四位下、右京大夫」は、クロスしていることから左巴は四番目で家格は最上。
次に、麻雀の遊びは、南家(京家)から見て右隣は東家となる。
従って、
「従五位下、右京亮」は、右隣(右巴)の東家は助平で、家格は四番目から六番目に降格した。
このことからも、右巴紋は東家であることを示している。
クロスの概念は、向かって左右か、己から見て左右。
つまり、右京区と左京区。
その結果、
系統の順番
一番目 秀頼流、二番目 頼行流、三番目 頼邦流、
四番目 家頼系頼盛嫡流、五番目 秀経流、六番目 直頼流
不祥事前の家格の順番
一位 家頼系頼盛嫡流、二位 頼行流、三位 秀経流、
四位 頼邦流、五位 秀頼流、六位 直頼流
不祥事後の家格の順番
一位 家頼系頼盛嫡流、二位 頼行流、三位 秀経流、
四位 秀頼流、五位 直頼流、六位 頼邦流
スケベの語源は「助平」で、江戸時代中期から後期にその言葉が定着し始めたと考える。
スケベゆえの不祥事にて六位に落ちたと考えるべきことなのかもしれません。
問題の方の内容を見ると、将軍家が東家出身でないように偽装を図ったと考えるのが自然で、
この内容もクロスさせていると考える。
また、宇都宮氏のあるの情報とある情報の家紋の三つ巴の右巴紋と左巴紋の家紋が、
右左、逆になっている。右巴紋が正しくて、大河内松平家が官位も含め関連付けている。
それと、猪◯事件は一六〇九年に起きていることから、
左巴は徳川政権江戸時代初期に改ざんされた内容であると、
これまでの事柄から解き明かすことができる。
皆様がご存じのドラえもんは、巴紋から来ているのかもしれません。
野比(日野)のび太が家康、
ドラえもん(左巴紋)が、本多忠勝などをはじめとする京家出身の家臣で、
のび太君の夢を叶えてあげよう、として立ち上がったのやもしれません。
野比は日野をクロスした名字であるから東家、ドラえもんはそのまま巴紋で、
巴紋とした時は、左巴紋を指すと考え、京家となる。
また、家康は太り気味なので、体型もクロスしている。
あくまでも、例え話としてなので、
家康が真にできる人かできない人かは別の話であると考える。
残りは、皆様のご想像にお任せするとしよう。
無鄰菴の想い
右隣(右巴)の補足として、
無鄰菴の「隣」の字は旧(九)字のこざとへんは右側になっている。
京都南禅寺の近くにある無鄰菴は、政治家山縣有朋の別荘で、山縣家は西家流である。
麻雀では、西家の右隣は南家であるから、無が付く水無瀬家は南家(京家)を示している。
また、水無瀬家の家紋は菊紋であるから、菊は京家であることを示している。
おそらく、罪を被せられている為、大河内松平家への官位の補佐的なものと考える。
余談にて、「無鄰菴」を初めて見た時、私は「むろうあん」と読んでしまい、
「楼」「郎」が、混同していた。
もしかすれば、西家流に室町家があることから、
「むろう」と読ませる狙いも可能性としてあるのではないか。
然すれば、室町家(四辻家)が罪を着せられている為、辻褄が合う。
そして、導き出された「楼」「辻褄」の言葉には、「女」と「辻」の字がある。
旧字の「九」と「菊」は高崎藩松平家を指し、女性問題で「四辻家」が罪を着せられた。
冤罪の根源は、高崎藩大河内松平家の官位の謎と合わせ、鄰のトトロ(右巴)。
つまり、東家の徳川将軍家を表していると解釈できる。
念を押して、「ろう」と読む漢字は他に「榔」と言う似た字がある。
「櫛」の字に竹をとった字で、笹竜胆紋などの竹は京家であるため、
竹を省いたと言う点から、「櫛笥」ではなく、東家流の右巴紋の「櫛橋」を指していると考える。
因みに、「榔」はヤシ科の常緑高木「檳榔(ビンロウ)」に用いられる字である。
「ロウ[low](低い)」の反対は「ハイ[high](高い)」、従って、ロウは東家流となる。
戸田氏秀の先妻の「米子」の名前には、米処の新潟もさることながら、
上杉謙信を共通として、「楼」「鄰」の字に関連された意味を示していると思われる。
米子は氏重(徳太郎)の実母でもある。
「無鄰菴」は、庭の拘りの逸話もあり、
その拘りが、「従来の人は重に池をこしらえたが、
自分は夫(それ)より川の方が趣致がある」と公式サイトにあり、
川は琵琶湖から引かれた水とある。
これは、高崎藩大河内松平家(戸田氏重)と琵琶湖の近くにあった坂本城や川の水から、
明智光秀のことを示していると考える。明智光秀の家紋は桔梗紋。
そこから、西家流の桔梗紋の妻木家を示していると思われ、
これに辻褄ならぬ、女性問題を示すことにつながる。
更に、無鄰菴の「庵」は、伊達家家臣の西家流である「鬼庭元綱」の別名「鬼庭了庵」とかけ、
その庭の拘りから「鬼庭」と紐付けている。
鬼庭元綱は、伊達三傑の一人でもあり、主君の輝宗は、松田徳太郎の直系に当たる
高崎藩松平家の通字の「輝」と同じ字である。
徳太郎はの生まれ年は一八九〇年、
無鄰菴は明治二十七年(一八九四)から二十九(一八九六)年に造営されたとあるので、
「従来の人は重に池をこしらえたが、」の「重」は戸田氏重(松田徳太郎)を指している。
「庭田家」は笹竜胆でもあることからも、
「無鄰菴」に込められた、根底となる山縣有朋の想いが、
ここに解き明かされたのではないだろうか。
また合わせて、戸田氏重を指していることから、
松田宗家の後継者は戸田氏重こと松田徳太郎と断定でき、その証ではないだろうか。
前置きはこのぐらいにしておき、無鄰菴の真意を次に記す。
事件が起きた時の将軍は徳川秀忠。
家康家臣の大久保忠隣が次の将軍を秀康ではなく、秀忠を支持したこともあり、
無鄰菴という名前から、事件の当事者の出自を改竄したのは徳川秀忠。
徳川秀忠の官職は右近衛少将、参議、右近衛中将、省略、右近衛大将、省略、右大臣、太政大臣とある。
「鄰」の字が示すように、正に右の人である。
また、詳細が出回ってから改竄すれば問題となり、追求されることから、
事件が起きた当初でなければならない。
それゆえにも、徳川秀忠であろうと断定できる。
「無鄰菴」の言葉の意味は「無理」「不倫」などの意味も込められ、
全ての想いを総括し、要約すれば、
「女性問題の猪熊教利の出自を西家流に、徳川秀忠が改竄した問題は、
到底容認できない(無理)からどうにかしてくれないか、
菊(水無瀬家)の大理卿家であった松田宗家の継承者戸田氏重よ。
との山縣有朋の声が聞こえてきそうである。
「想い」は「重い」と掛けているのであろう・・・。
松田宗家
吉田藩からの定紋は伊豆蝶(丸に臥蝶に十六菊)、高崎藩の定紋は高崎扇であるため、
よって、吉田藩に移封したところから、本流は高崎藩であることを示している。
正綱と信綱も大河内松平宗家と松平伊豆守家とし、
三つ反り扇の家紋に丸がないことから、伊豆守家が本家となりクロスしている。
したがって、松田家家頼流から高崎藩大河内松平家は、
松田宗家の後継家であることを証明している。
高崎藩は、単に大河内宗家と称するべきところではあるが、史実の表記はそうでないため、
大河内三条家が、松田宗家の後継家名として、改めるとする。
三条とは
前述にあるように、一度公開された資料を改めることは、心疚しい事があると疑われ、
改易、もしくは、死罪に相当すると考えるので、
引き続き、クロスする関連された事柄で密かに訴えているのであろうと考察する。
高崎藩が宗家であることの裏付けられる理由の一つとして、
奈良松田家三代目の亡き父親は、因幡三上家に重きを置き関連付けている。
公家でありながら、武家のような官職という点において、
同じであるということを示していると思われる。
明治時代の華族制度では、江戸時代に於いて忘れられている家系が、
何故か、華族の爵位は公爵となっている。
これはもしかすれば、高崎藩大河内松平家のことを指しているとすれば、
自然と思えるのは私だけだろうか。
真実は、高崎藩大河内松平家は松田宗家の後継、
公家の家格は清華家で、華族の爵位は公爵となる。
極官が、太政大臣兼左大臣。
官位は、従二位から正一位の間が個々の最終官位となる。
それは、私の生まれ月が十二月、父親の誕生月が一月とすることからも示されている。
そして、真の家名は「三上(さんじょう)」の「上」は「条」の代替であると考え、
よって、「三条」となる。
何ゆえ三条なのか、
松田宗家は、頼盛から始まり、頼直の三番目の系統の頼貞、信頼の三番目の系統の家頼、
信綱の三番目の系統の信興。それにて、三乗の三は九。即ち、「三条」。
高崎藩大河内松平家は、松田宗家を継承する証と裏付けられる。
その根拠となる事柄の一つとして、父親は模造刀の脇差を私に見せ所有していた。
いつしか模造刀は家から無くなり、売り払うたと私に伝わり、
売りに出したかの真偽は不明だが、
津山松平家は、家宝の宝刀「童子切安綱」を石黒久麻呂に売ったとされる資料があり、
それと紐づけている。
津山松平家は爵位は子爵であり、高崎藩大河内松平家も子爵とあり、
これと関連づけていると考える。
それ裏付ける証として、津山松平家、徳川斉民の四男と五男がそれぞれ、
十代当主、十一代当主(子爵)となっていることから、
戸田家へと婿養子に入った戸田氏秀は、四男と五男を後継者に選び、それと紐づけている。
津山松平家も越前松平家の宗家であり、
高崎藩松平家も宗家であると訴えている。
このことから戸田氏重も、婿養子とは言え、松田宗家高崎藩であることの証である。
更に、大河内輝声の初名は、松平輝照、次に松平輝聲、
この名称は高崎藩が廃藩になる前に名乗っていた名称である事が流れ上見える。
廃藩後の名前が大河内輝声である。
輝声の四男輝耡が戸田家の養子となり、戸田氏秀と名乗り、
一男の氏重が松田徳太郎と改名する。
松田宗家高崎藩と考えれば、松平輝聲、戸田氏秀、松田徳太郎と順になる。
大河内の家名は無くなり、大河内は宗家の家名ではないと、証明している。
松平▼「氏」である本姓を示す。
戸田▼真の家名につなぐ宗家の分家の一つ。
松田▼猪◯事件改竄問題も含め、真実を伝えるべく日まで、
松田祖の家名を一時的に称している。
情報としてないにしても、戸田氏秀もまた、松田氏秀と、徳太郎と共に名を改めた、
可能性はあるのかもしない。と言うよりも、そのように捉える。
後妻の富子とは、夫婦別姓であった可能性は高い。
一男氏重以外は戸田姓で、四男氏忠、五男氏直が松田宗家の分家の戸田家となる。
前記でも述べたように、松田宗家の真の家名は「三条」である。
この過程で一つ疑問に思うのは、公爵はどこに該当するのかと考えれば、
公爵は松田氏秀になり、宗家の分家である戸田家の四男、五男は、そのまま伯爵であると考える。
その上で、大河内輝耕は子爵で相違ないと考察する。
徳太郎はおそらく、更なる陰となるゆえに爵位は継承していない。
ゼロ(無)からの出発としたのではないか、
財産分与は存命している母親が実の母親でないこともあり、
四男、五男よりは少ないうように考える。おそらく遠慮したのであろう。
もしくは、ゼロが示すように、放棄した可能性も否めない。
時代背景と共に、陰というこのような複雑な状態が、
そのまま闇へと引き込まれてゆくのである。
継承の真実
戸田氏秀は大河内輝声の四男で、徳太郎(氏重)は、戸田氏秀の一男。
大河内輝声の一男が輝耕(きこう)で四男が輝耡(てるすき)、
これもクロスしており、輝耕は音読みなので上杉謙信に宛てた名前、
従って、本当ところは、四男輝耡(氏秀)が真の後継者ではないかと推測する。
次に、戸田氏重は一男でありながら、後継として選ばれなかった理由は、
祖を示すための関連付けであると同時に、大河内の真相を世に伝える役目と、
後に、無鄰菴の山縣有朋の想いに応えるべく大役を担い、
いずれ、真の家名の三条を名乗ることを念頭に、
戸田という家名ではなく、松田に復したのではないだろうか。
そのような筋書きを、大河内輝声の代に練られたことだと、
これまでの関連されたことから窺える。
氏秀の想いは、己は養子であるため、氏重(徳太郎)に大河内の後継を託し、
それゆえ、真の松田宗家は奈良松田家であると考えるのが自然と思える。
その結果、徳太郎は、東家が西家に被せた罪を明らかにすることも含め、
祖を示す執着心は異常なまでのものとなり、
全てが空回りし、不自然な状態へとなりえたと考察する。
そして、西家の冤罪を晴らすため、
無鄰菴から、松平西家流である明智光秀肖像画の所蔵の岸和田の地に縁があり、
妻木家と同じ土岐桔梗紋の肥田家に縁があると解釈する。
三つ扇紋の義
信綱が、定紋を三つ反り扇紋に変えた最大の理由は、猪◯事件が起きて、
その事件の内容を改竄されたことを知った後のことだと読み取ることができ、
扇紋は松平西家流にあり、三つ扇紋には、事件の真実を関連された事柄により後世に伝え、
いずれその真実を世に伝える決意、または、使命が込められている。
そのように、至輝に、伝承される。
それが、大河内松平家(松田宗家)の義である。
足跡
祖の謎を解く鍵となり縁のある場所は、
幼き頃に家族で出かけた平安神宮、清水寺、伊勢神宮、橿原神宮、
和歌山南紀白浜、名古屋。
そして、親自身が生前に訪れた宇治平等院。
私自身で赴いた、鹿苑寺、京都御所、嵐山、大法院、無鄰菴。
鹿苑寺は、家頼流を深く知り、
京都御所の六種の松とススキにより祖の広がる手がかりとなり、
嵐山は、光秀の足跡をのぞかせ、京都の豪商の角倉了以。
その近くに生命を育む柿の木は、上杉家臣の柿崎景家。
大法院は、真田信之の菩提寺に、千代の富士の石碑。
極め付けは無鄰菴。
奈良松田家
信実
はじめに、奈良松田家を別称として、後松田家と呼ぶ。
次に、大河内松平家と松田宗家のつながりは世に公表していないと同時に、
大河内松平家にとっては不都合なため、明治初期から中期に於いて、
考えられたであろう戸籍は、到底正式なものをにはできず、祖を関連付けた形式での名称で、
松田徳太郎はそれを賛同の元、大河内松平家及び戸田家の認証を受けたように推測する。
「松田徳太郎」を「戸田氏重」との見解にて、
戸籍から「徳太郎」と三男の「治」の名は、二宮金治郎(尊徳)を示す。金治郎の一男の名は徳太郎。
親と子の名前がクロスして関連づけられていることがわかる。
そしてそれは、自ずと三番目の系統、徳川家の東家とクロスしていることを暗示している。
「徳太郎」の祖父は、父・幸四郎の養父・幸次郎となっており、
養父とは戸田氏共を示し、父・幸四郎は名の通り、四男の戸田氏秀と重ねられ、整合性が取れる。
幸四郎(戸田氏秀)の「幸」は「松田幸右衛門信実」、「幸四郎」は「松田彦四郎頼通」を暗示している。
次に、幸四郎の妻「奈良糸(戸田米子)」とは、幸四郎、徳太郎の本戸籍があるのが、奈良県である。
そこから「糸をつなぐ」つまり、奈良の地に於いて、祖の松田家につなぐという意味である。
これは松平信綱の名称と同じく「綱は繋ぐ」、それに倣った形での松平信綱を示していると考える。
また糸は、「塚原卜伝」の家紋を示す「糸輪に覗き揚羽蝶紋」にある糸輪の「糸」の意。
奈良糸(戸田米子)の母は、戸籍に「ハル」文政五年誕生と記載されており、
幸四郎は六十八歳の時の子であるため、不自然明白にあり、
これは岩倉具視の三女・戸田極子の誕生年が安政五年から、戸田極子のことと断定できる。
幸四郎の三男富一は、松平京家の家祖頼貞の二男が十市を号し、その「十市」を表すと共に、
幸四郎の養父の幸次郎は、その家祖の新次郎にかけて祖の「十市家」を示す。
富一は三男であるから、松平東家を示し、三つ星に一文字の家紋を表す。
幸太郎の長女のハツノは、初の「太政大臣兼左大臣」、初の「内閣総理大臣」を示すと同時に、
それを紐付ける初の「宮内事務官兼式部官」も示す。
つづいて、次女の都美は、松田家の発祥「京都」を示すと同時に、
松田宗家が幕府の拠点に選んだ、江戸「東京都」を示す。
また、至輝の元名「実」と合わせて「三条実美」を指す。
「とみ」なので、戸田氏秀の継室「富子」を表し、
室町幕府八代将軍足利義政の正室「日野富子」と紐付けている。
八代将軍足利義政は慈照寺(銀閣寺)を築き、庭園にある「銀沙灘」砂盛りがあり、
それは松田八郎左衛門尉頼盛を表し、
そして、織田信長や上杉謙信が身につけていた銀色の甲冑南蛮鎧に繋がる関連された事柄である。
従って、大河内輝声の初名松平輝照は、慈照寺を指す名前であることがわかる。
「銀沙灘」は、白砂を段形に盛り上げ、平面に波紋を表現したものとあるから、
他に奈良松田家の本籍の所在地として、「なみ」がつく地名がある理由が明確になり、
重ねて、「銀沙灘」は「富」や「都美」と合わせ、慈照寺を指し、
大河内輝声や織田信長、上杉謙信のことを指し、添えて米子は、米所の越後国から上杉謙信を示す。
第二十九代幸太郎は、奈良から岸和田に本籍を変え、明智光秀の肖像画が所蔵される本徳寺。
つまり岸和田市に移した理由の一つとして、幸太郎の諱は、幸四郎が戸田氏秀を示し、
それを紐づける証として、奈良糸は岸和田から奈良に糸を繫ぐと解き、戸田氏秀と妻の米子が導き出される。
系図の整合性から松田幸次郎は戸田氏共を指し、
「幸次郎」には「こうじろう」と「氏(うじ)」が隠れ示されている。
然すれば、都美の「都」は戸田の「戸」とも重ねていることが読み解ける。
他に「治」という字は何を示すのだろうか、その答えは、同じ公家の竹内家にあり。
竹内家は父子が共に竹内を称し、
始祖が信治(左近将監)、家祖が氏治(竹内大夫)である形態を読み取れ、
徳太郎の第一子は光夫であり、大河内の関係性から、
竹内氏治を指し、同様の形態である奈良松田家始祖の氏秀と家祖の氏重(徳太郎)と重ね、
竹内家が岩倉家と同じ笹竜胆の家紋であることから、戸田氏秀は松田氏秀である事実が示されている。
また、信治との諱から、松平信綱と輝綱の三条家の関係性も紐づけられている。
この竹内家の関連性を思索すると、竹は上杉謙信の家紋にも重ねられ、関係性を示す要素も含め、
松平信綱の代で練られた原案だと推測できる。
幸四郎(氏秀)の長女ヨシノは、長男の氏重(徳太郎)と合わせ、沢村吉重の別名「沢村大学」と掛け、
「都美」から東京大学を表す。
菊松、吉松は松が下で松下家と木下家を暗示しているなど、祖を示す様々な関係性が秘められている。
奈良県高市郡明日香村の岡寺にある十三重石塔は、
松田徳太郎筆頭に、大正時代に共同寄進された物である。
寄進者はおよそ二百四十人程度。
石塔に刻まれている姓は浦野姓で、六番目に「浦野徳太郎」とあり、
「浦野徳太郎」とは「松田徳太郎」のことであるが、
次の内容から祖を示すために姓を偽っている。
裏の徳太郎という意味と解釈し、同じ年生まれの「永見徳太郎」を示す。
また、浦野と言う姓は、龍蓋寺と合わせ「辰野金吾」を示す。
辰野金吾は大正三年に東京駅を設計、建築していることを踏まえ、
「浦野」の中二つの内、徳太郎は左側にあることから左大臣。
岡寺は紅葉が美しい寺でもあるところから輝聲(てるあき)を指し、
松平輝聲(大河内輝声)の最終官位は左大臣であり、東京大学設立を示す。
また、少し強引ではあるが、岡寺は、石楠花も三千株もあり美しく、
石塔の「石」を(しゃく)と読ませ、石は硬いことから、
硬石と公爵をかけていると考える。
そこから、華族制度は明治二年に誕生し、松平輝聲は二十一歳であることから、
松平輝聲は公爵であったと示されている。
そして、松平輝聲の資料には「中国文化愛好者としても知られ、
日本に赴任した清国公使・何如璋との交流の記録は」との文章から、
清華家の公爵であることが、読み取れる。
岡寺にある十三重石塔は、少なくとも大正四年以降に寄進されたものと推測できるが、
岡寺の参道にある徳星醤油の創業が大正七年であることから、大正七年に寄進されたものと断定。
岡寺、別名龍蓋寺は、奈良松田家の菩提寺と言っても過言ではない。
フサ子
フサ子の「フサ」は、山科家から分家した教成から数えて山科家五代目の「山科頼房」を指し、
また、山科教成の親の「平業房」を指す。
「山科頼房」は「松田頼盛」と改名し分家する。
主要関連付けリスト
第一本籍地 奈良県磯城郡(現在 桜井市)
第二本籍地 大阪府岸和田市 本徳寺 明智光秀肖像画所蔵 近辺
岡寺(龍蓋寺) 十三重石塔 浦野徳太郎(氏重)
松平西家
・武蔵太田家(武家) 家祖 資治 著名 太田資正 家紋丸に細桔梗
・富小路氏 (半家) 家祖 道直 極官 宮内卿 家業 和歌・医道など 家紋藤の丸
松平京家
・小出家(武家) 家祖 秀政 幕府官職 和泉岸和田藩主 家紋丸に額
・今出川菊亭氏 (清華家) 家祖 兼季 極官 太政大臣 家紋三つ紅葉
・竹内氏 (清華家) 家祖 氏治 極官 非参議 家紋笹竜胆
・白川伯王氏 (半家) 家祖 資邦王 極官 参議 家紋梅
・醍醐氏 (清華家) 家祖 冬基 極官 左大臣 家紋下り藤
・日野流北小路氏 (名家) 家祖 徳光 職業 伊勢神宮大宮司 家紋鶴の丸
・桜井氏 (名家) 家祖 兼里 極官 近衛中将 家紋五七桐紋
・烏丸氏 (名家) 家祖 豊光 著名 烏丸光広 家紋鶴の丸
・裏松氏 (名家) 家祖 資清 著名 裏松通世 家紋鶴の丸
徳川家康の出自
明智光秀の肖像画には「輝雲道琇禅定門肖像賛」と記されている。
この戒名の中に「輝」「琇」が「光秀」の諱を表す。
「輝」は上杉輝虎で、「琇」は頼盛からの分家の白川伯王家を示す。
ここから徳川家康の松平四家のどこの出自であるかが示されている。
白川伯王家の家祖は資邦王で、松平東家の始祖である頼邦の諱の由来を示す。
次に、武蔵太田家の通字は「資」であることから、資邦王とつながり、
太っている徳川家康は、頼信流の分家(上杉輝虎の子)の秀逸な家臣に助けられながら、
江戸に幕府を置き、征夷大将軍となる。
つまり、武蔵国に拠点をおき、武家の王となる。
したがって、徳川家康は松平東家であることが示されている。
因みに、「資邦王」は「すけくにおう」と読む。
かごめかごめの歌詞
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?
考察
明智光秀肖像画所蔵の本徳寺の資料に記載されているのだが、
「後ろの正面誰」は日光東照宮から見て、真後ろは岸和田となり、
正体が明智光秀のことであるとの説がある。
この歌詞は猪◯問題を題材にした歌詞である事実が見えてくる。
「かごめかごめ」は「神具女」とあるので、高貴な雰囲気を持つ女性とある。
二度繰り返していることから、何人かの女官であることを指している。
ここから岩倉具視とのつながりの理由の一つも見えてくる。
「籠の中の鳥は」烏丸光広で、籠の中とは猪熊教利に誘惑され、秘密である様子。
「いついつ出やる」とはいつ猪熊と皆である行為を遂行するのか、
「夜明けの晩に」それは朝早くから晩まで及ぶこと。
「鶴と亀と滑った」鶴は鶴丸紋の烏丸光広で、亀は猪熊教利となり、
淫らな行為が明らかになり、猪熊教利は逃亡し斬刑にされた。
「後ろの正面誰」とは、猪熊教利の正体(出自)は、本徳寺所蔵の明智光秀肖像画にある。
亀が猪熊教利とされるのは、江戸時代後期の陶工「亀熊」から関連づけられている。
京都出身で染付け研究のために肥前有田(佐賀県)に足を運び、
長崎で藍鉱石を日向(宮崎県)で釉料の灰をもとめ、その法を師につたえる。
京都染付けを創始するのに貢献した。
亀熊の本名は「宮田熊吉」で二代亀屋六兵衛(亀六)とある。
日向で猪熊教利は召し取られたとある上、
惟任日向守光秀とかかるため、亀は「猪熊教利」であることを示す。
十三重石塔に刻まれた名称の意味
注目する点は中央にある浦野姓
・浦野駒𠮷(向かって右側)
・浦野徳太郎(向かって左側)
これを対比すれば、
・烏丸光広 松平京家烏丸流嫡流[頼信流](向かって右側)
・裏松忠清 松平京家烏丸流支流[頼信流](向かって左側)
更に置き換え、
・松田頼信 三条輝照 左大臣(石塔から見て左側)
梵字タラーク 大勢至菩薩 知恵の光をもって全てを照らし、無上の力を得させる菩薩。
・徳川家康 徳川秀忠 右大臣(石塔から見て右側)
梵字サク 虚空蔵菩薩 虚空とは事実にもとづかないこと。
また「向かって右側」は、駒𠮷の「𠮷」の下の辺が長いことから右大臣の織田信長を指す。
その場合は、自ずと「向かって左側」の浦野徳太郎は松田頼信を指す。
下の辺がという言葉で本能寺の変とかけているのではないか。
然すれば、松田頼信と織田信長はつながり、「𠮷」である漢字から豊臣秀吉にもつながる。
これらの内容からクロスした関連付けであることが読み解ける。
・織田信長 右大臣(向かって右側)
・松田頼信 左大臣(向かって左側)
鹿苑寺流庶流の桜井家の家紋が五七桐紋であることから、
豊臣秀吉が行った「醍醐の花見」が連想され、
同じ鹿苑寺流庶流の醍醐家の極官である左大臣が、
クロスの観点から松田頼信の官職である事実が見えてくる。
最後に、二つある浦野姓から「裏の性」に変わり、次の人物を表す。
・烏丸光広(墓所法雲院 右京区)賛同者
・猪熊教利(左近衛少将) 首謀者
つまり、猪◯問題の当事者である。
近衛信尋の正体
近衛家のwiki資料の系図を見てみると19代の信尋(二宮)とある。
何やら前述にある、二宮金治郎と関連付けされており、
(二宮)を目印に信尋が誤識し記されている。
次の点から誤識である事実が見えてくる。
・信尋は後陽成天皇からの養子とある上、幼名は二宮でなく、
四宮であり、二宮は信尋の資料には見当たらない。
・近衛信尋は、後陽成天皇(wiki資料)の子女欄の上から三番目にあるので
少なくとも二宮ではない。
・別資料によると後陽成天皇の四宮が後水尾天皇で、近衛信尋らしきものは見当たらない。
では近衛信尋はどこからの養子であるかは、松平京家からの出自であることが、>
祖を示す関連された事柄から見えてくる。
後陽成天皇は猪◯事件の時の天皇であり、それに関与し、
猪◯事件と出自偽装問題を指摘するため、養父を後陽成天皇としていると読み解ける。
「徳太郎」と「治」は「二宮金治郎」を暗示し、「近衛信尋」を指している。
額(学)
額を示しているのは頼直流の冨樫氏の家祖「泰家」で、
系図の泰家には(額田)とある。
(武家家伝_富樫氏参照資料)
冨樫氏の家祖を示すため、小出家の家紋の丸に額につながる。
そこから多くの絵師や画家を排出し、東京大学をはじめ、
多くの学校創設者などを排出する。
小出氏が和泉岸和田藩主から、
奈良松田家も岸和田市に第二の拠点を置き、至要たるに示している。
幸の通字
奈良松田家の系図にある「幸」は真田信幸(信之)を示し、
真田信幸の官位は伊豆守、侍従である。
これは松平信綱の資料にある官位と同じであり、
他に、親族に「真」の字が見え、至輝の元名「実」と合わせ、
松田幸右衛門信実は松平信綱であることを表している。
松平信綱が奈良松田家の先祖であることを示すと共に、
同じ清華家である家祖の広幡忠幸を指し、
松平信綱の実子であることも併せて示されている。
祖母は広島出身であることからも広幡家を指しており、
広島は旧国名の安芸国で「松平信綱」から「三条輝照」
につながることも十三重石塔と合わせ示している。
追加として、三条西家の通字は「公」と「実」と「季」である上、
三条西家の極官が内大臣。
「広幡忠幸(広幡家)」の極官が「内大臣」で「忠」の字から、
信綱から大河内と岸和田市にある本徳寺の西家である明智光秀肖像画と合わせ、
「徳川秀忠」をも表す。
極官を指している理由は季節の春にあたる「ハル」こと「極子」から窺える。
岡寺十三重石塔の秋は紅葉から春は石楠花と蛙の鳴き声とつながり、
三条輝照から大河内輝声を表していることが明白となる。
十三重石塔の裏側には梵字のアンがあり、その先には春になると石楠花が咲き乱れる。
シャクナゲは無鱗片シャクナゲ節の総称であることから「無鄰菴」が導き出される。
そして、「鱗」左から「鄰」右と変わることからクロスを表し、
南家(京家)の右隣の東家、祖は四条流(魚名流)であった右大臣の徳川秀忠を示す。
大久保利通
大久保利通を導き出すには、次の京家出身の大久保氏を挙げる。
大久保氏 家祖宇津忠茂 三河国額田郡上和田の大久保氏の支流
前述を踏まえ、三河、額と和田があることから大久保氏を指し、
その家系にある大久保忠隣により無鄰菴にかけ、
広島の安芸国の毛利氏と解き、
幸四郎から彦四郎頼通で大久保利通が導き出される。
また、頼信流の会津松平氏の祖の保科正之から、
近しい大河内松平宗家の通字が「正」であるため、
「保」と関連付けされ「大久保」を指し、保科正之の最終官位が「左近衛権中将兼肥後守」、
幕府官職は「江戸幕府大政参与」であることから、
松田宗家は太政大臣と左大臣を兼ねていた意図が重ねて読み取れる。
正之の幼少名は幸松丸であり、奈良松田家は「幸」で紐づけている。
誕生日
至輝(実)は、十五歳まで両親に誕生日をお祝いされ、
誕生日に欲しいものだけは親に伝えていた。
十五とは、松田頼盛から数えて十五代が松平信綱である。
至輝の元名が「実」から松平信綱は松田信実であることを表すためであり、
全ては、祖を示すためであることから、
十六歳以降は「誕生日おめでとう」の声かけすら皆無である。
元を辿れば、初めから家族でない。
祖を示す関連性の主要の位置付けにある「四」と「三」の根源は、
今川国氏の誕生を指している。
先代の諱に「守」が含まれることからそれも兼ねて
松田頼盛は今川国氏である真実をも示す。
今川国氏の誕生日は一二四三年であることから、
元は頼通の一で、松田信実(信綱)は二男、松平信綱の後裔は四系統あり、
三条家で今川国氏の誕生日を表す。
輝綱を家祖したのは、山科家と合わすためでもあるが、
子の輝綱を家祖とすることで、少なくとも四系統よりは後に、
「三条」を号された証となるため、明確にする理由も挙げられる。
両親は重ねて、三者面談などの学校行事を中学校までは母親で、高校から父親と交代した。
十五歳までは母親で信綱、十六歳から父親で輝綱あることを訴えかけていたと考える。
小学校六年間、中学校三年間、母親と父親が交代することにより、
信興が三番目の系統であることから、鹿苑寺流を表していると思える。
母親に投げ捨てられるように交代したので、子供ながら傷ついた記憶はある。
今思えばそれが本心である事実が明白に虚しくもある。
無論、三者面談の内容も、その後に親から何か言われた記憶も何もない。
親は子を育てることを教えられていない上、
何かに取り憑かれていたのであろう。
その心は、異常な家庭環境にあったと推測できる。
和田惟政と明智光秀
先ず、家系図に五番目の実子として「義明」があることに留意する。
第二の奈良松田家の拠点は、岸和田市。
そこから和田惟政を拾い、明智光秀の境遇が似ていることから、
岸和田の「和田」で奈良松田家は関連付けをしている。
その境遇とは、室町幕府十四代将軍足利義輝、十五代将軍足利義昭に仕えながら、
織田信長の家臣という立場が同じことであること。
近江国甲賀に拠点を置いている点は明智光秀も坂本城を居城としている点と重なる。
義昭が上洛する際の記述で「義昭を奈良から伊賀を経由して甲賀に脱出させ」
奈良という関連性も示している。
前記にあるように明智光秀の肖像画が所蔵される本徳寺は岸和田市である。
このような類似性から岸和田の地に、明智光秀の長男明智光慶が
本徳寺を開基したのでないか。
宗家も何かしら関与している点も想像できる。
和田惟政の誕生が享禄三年(1530)であることから、
先の項目を踏まえれば、三条輝照を示していることが読み取れる。
享禄三年の「三」、誕生の「生(条)」、足利義輝の「輝」、
足利義昭の「昭(照)」で「三条輝照」となる。
誕生享禄三年をそのままだと、「条三」になるが、それを「三条」にするには、
幸次郎から「こうじろう」で、「こうし」が隠れていることから、
高氏(こうし)の家祖重氏を指し、足利氏執事であることから、
前述にある足利義輝や義昭と関連性を持たし、重氏は氏重の上下が逆にあることから
誕生享禄三年を逆からと考え、「三条」となる。
五番目の実子が「義明」で室町幕府十五代将軍足利義昭から引き算をし、
十五から五引き「十」が残る、それを留意し次の項目に移る。
類似性
奈良松田家の家系図にある、「マサヲ」は女性の名前であることから、
「マサヨ」と読ませない主旨が窺え、ここに類似性が生まれる。
十三重石塔では、「じゅうさんじゅうせきとう」でカタカナに変え、
「ジュウサンジュウセキトウ」、三条をカタカナで「サンジョウ」で、
「ヨ」を「ヲ」比べると「ヲ」は下に一本足りないことから、
「ヨ」を強調し、「ュ」が「ョ」に変わることを暗示している。
それ故、「ジョウサンジョウ」となる。
よって、「上三条」になり、転法輪三条家より上の「松平三条家」が現れる。
「マサヲ」は大久保利通の項目でも述べた、大久保忠世の関連性が見られ、
徳太郎と合わせ、徳川秀忠も表す。
「十」は、明智光秀の十兵衛と大久保忠世の新十郎、
大久保利通は、「維新の三傑」でもあるが「維新の十傑」である。
十河氏の家祖の吉保からも大久保利通を指している。
以上踏まえれば、「三傑」は旧字の「三條」に見えてくる。
そして、新十郎から新字の「三条」になる。
維新の三傑は次の人物で、
西郷隆盛(薩摩藩)号南州
大久保利通(薩摩藩)号甲東
木戸孝允(長州藩)号松菊
少なくとも、西家、南家、大久保利通が輝照の代用である甲東からの東家、
家系図に菊松があることから上下逆であることと戸田家を紐づけている。
大学と猪◯事件を示す
幸太郎代で岸和田に呉服店を開店していることから、
伊藤圭介は町医者の西山玄道の次男として名古屋呉服町に生まれ、
先覚者の筆頭に名古屋藩に意見具申し、仮病院・仮学校を設立。
これが名古屋大学の「創基」となり、祖の東京大学や京都大学を暗示している。
町医者という点や「雄しべ」「雌しべ」「花粉」の言葉を作ったことから、
猪◯事件に結びつけている。
(第二章三条家につづく →)